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蒼き旗に誓うは我が運命

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第三章 副長エルドアンの追憶




 イベリアを経ったサン・ディスカバリー号は、イベリア領カナンで三日分の食糧と水を補給し、七海最初のゴールデン・アイランドに入った。
 海賊たちはこの名を聞いて、宝島があると思ったようだが財宝が発見されたと言う話は誰も聞いてはいない。
 「これはまた、懐かしい所に…」
 甲板に上がってきた彼は、思わず口許を緩めた。海がまだそれほど危険だと言われぬ十年前、ゴールデン・アイランドにある小さな島アデージョで、運命を変える経験をすれば尚更である。
 「副長?」
 「仕事は、もう終わりますか?カイン」
 「ええ。この甲板磨きがもうすぐ」
 消えた父親を探す為、隠された真相を知る為、交易商人の息子カインはサン・ディスカバリー号に乗った。
 広い甲板を磨くのは、かなりの労力がいる。大人でも大変な仕事を、カインが喜んで引き受けた。そのうち根を上げると言うマックスの予想は外れ、カインは続けている。
 「お茶を如何です?」
 「エルドアン、やめとけ。坊やはミルクに決まってる」
 「マックス砲術長っ」
 「…では、美味しいミルクティーにしましょうか。砲術長もどうです?」
 「遠慮しておく。そのうちもう一人増えて、茶どころじゃなくなるからな」
 「もう一人?」
 「俺は慣れているからいいが、初めてのこいつじゃカチンカチンになるぜ?」
 一体どんなお茶が出されるのか―――、既に不安そうなカインだが、にっこり笑うエルドアンに覚悟を決めた。

 イベリア領アデージョ、小さな港と町があるだけの島。
 交易商人たちの束の間の休息地として、食堂や酒場、中には簡易カジノもある。
 「よぉ《情報屋》」
 ふらっと酒場に現れた男に、カウンターにいた男が隣を勧めた。
 歳は五十後半、赤い髪と髭の男で珍しくはなかったが、その顔をみた男は暫く声が出なかった。
 「何処かで会ったかい?」
 「ふふ、この顔をみれば信じられねぇだろうな。《赤髭》は死んでるんだ」
 「てっきり、絞首刑になったと思っていたよ。捕まったと言う噂はデマだったかな」
 「デマじゃないぜ。《赤髭》は、間違いなく縛り首になったのさ」
 「おかしいな。じゃ、あんたは誰だい?」
 「幽霊―――」
 曽て赤髭と呼ばれていた海賊は、面白そうに嗤う。
 《情報屋》と呼ばれた男は、その名の通り情報を仕入れては売る。交易商によく出入りしている所為か、何処を商船が通るか、よく知っている。彼が捕まらないのは同じ場所に一時間もおらず、更に変装の名人とあって捕まえる判断材料が一致しないのだ。
 そんな《赤髭》が、帰り際一つのテーブルの前で止まった。いたのは黒の帽子にマント、覗いた襞襟がかなりの身分である事を示している。
 《情報屋》は、その男の顔を知っていた。
 「今日は、珍しい者に会う日だな」
 


 船室に、紅茶の香りが満ちる。一目で高価そうな磁器のティーポットにカップ、とてもサン・ディスカバリー号のような船には似つかわしくないものを前に、カインは唖然とした。うっかり落として割ろうものなら―――、頭に浮かぶ金貨に計算が追いつかない。
 「そう緊張しないで」
 「あ、あの、僕はミルクで構いません…」
 「紅茶はお嫌いですか?」
 「いえ…、そう言う訳じゃ…、あの…割れないんですか?」
 「船の揺れで割れた事はありません。嵐でも落ちた事はないくらいですから」
 まさか、サン・ディスカバリー号が割れないよう気を使ってくれている訳ではなかろうが、普通は絶対持ち込まない。それが、エルドアンの自室にある棚に何個も並んで、「絶対落とすなよ」と、訴えているようで気が気ではない。マックスが、遠慮する筈である。
 「私の趣味は、世界のお茶を集める事。元々、家に茶葉を運ぶ交易商人が出入りしていたのがきっかけですが」
 「確か、副長も貴族なんですよね?」
 「ええ。没落してもう屋敷もありませんが。ですが、お陰で私は自由になりました。行動派ではなかったので、部屋にいる事が殆どでした。昔の私は、控えめで冗談も言わず、笑わかったんですよ」
 今のエルドアンとは、全く対照的な過去の姿をカインは想像できなかった。
 家も財産も失い、当主である父も亡くしたエルドアンに残ったのは、彼が買い集めたティーセットと、茶葉の缶が幾つか。知り合いに小さな館を譲られ、エルドアンはたまに港に顔を出すだけで、殆ど館に隠った。その場所が、アデージョなのである。
 「それがどうして、この船に…」
 「偶然の偶然…でしょうか」
 「―――?」
 「―――どうやら、来たようでね」
 誰が来たのか、扉がノックされ現れた男にカインは絶句した。マックスが言ったもう一人が来たのである。
 「キャプテン?」
 「お前にそんな顔をされたのは、二度目だな。俺が来たらいけないのか?カイン」
 「いいえ!あ、あの、お邪魔しちゃ悪いですから僕はこれで」
 「構いませんよ。お茶に誘ったのは私です。キャプテンも誘ったんです」
 サン・ディスカバリー号ナンバー1とナンバー2を前に、和やかなお茶会などできる余裕はカインにはない。
 ジェフリーは、相変わらず無愛想で眉間に皺を刻み、カインの真正面に座った。
 「カインに、昔の話をしていたんですよ。キャプテン」
 「それで?」
 「本当、変わりませんねぇ。ブレないと言うか」
 「お前が、変わりすぎるんだ。あの頃、何て呼んだが覚えてるか?」
 「鉄仮面―――」
 「副長が…て、鉄…仮面」
 「酷いでしょう?」
 「当たっていただろう。貴族は、イベリアの腐った奴らばかりと思っていたが、他の国には変わり者もいる。お陰で、サン・ディスカバリー号で茶店が開いた」
 「私も、まさかこうなるとは思っていなかったんですよ。変わり者は、お互いですよ。キャプテン」
 「―――ええ」
 カップから香る紅茶の薫りに、エルドアンは十年前の事を語りはじめた。 



 イベリアから西へ、エルドアン・フォン・ジョルジエが生まれた国レアルタはあった。ジョルジエ家は代々続く伯爵家だが、エルドアンの他に男子がもう一人いた。彼にとっては異母弟だが、性格は良いとは言えない。
 「―――異母兄上は、私を殺すつもりなのです」
 この次男の言う事を、伯爵は初めは信じなかった。もちろん、エルドアンはそんな気はなかった。彼を殺す理由がない。しかし、異母弟を後押し、伯爵の背まで押した人間がいた。異母弟ジョアンの母であり、伯爵夫人となった女性だ。後にこれが母子による伯爵家乗っ取りだとエルドアンは知ることになるが、彼はあっさり家を出た。
 
 「どうして、副長が家を出ないといけないんですか?」
 カインの憤りは、もっともだろう。伯爵家正統な後継者が、家を出されるのだ。
 「この変わり者は、そんな事ぐらいじゃ怒らないさ」
 「その通りです。私は周りのことに無関心でしたから。私が家を継いでいても、結果は同じだったと思います」