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はじまりの旅

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第1章「ニタとメイトーの森」




 魔女クグレックの暮らすマルトの村の東の方角には大きな森が広がっている。
 村側から歩いて10分程入っていったところには開けた空間があった。苔と鬱蒼とした緑に囲まれているが、日光が差し込む神々しい場所である。そしてそこには石の祠が奉られていた。村の守り神であるメイトー神と呼ばれる土着の神が宿っていた。メイトー神が宿る森であることから、この森はメイトーの森と呼ばれていた。
 メイトー神は白猫の姿をしており、人語を喋ると言う。このメイトー神はマルトの村の平穏に尽力する。例えばマルトの村に悪意を持った人物が入って来ないように、外からやってきたものを永久に森の中を彷徨い歩かせる。ただ、マルトの村のような北の辺境の地までやって来る悪人などいないのだが。
 そんな神が宿る祠の前に、顔や腕を煤で真っ黒にしたショートヘアの一人の乙女がぐったりと横たわっていた。黒い貫頭衣を身に纏い、右手には樫の木の杖が握られている。うつ伏せになってぴくりとも動かない。しかし、呼吸音は規則正しい。
 と、そこへ白猫が祠の陰からそろりと姿を見せた。
 すらっと姿勢よく祠の傍らに居座り、うつぶせの煤まみれを静かに見つめる。
「おや。誰だい、この子は。」
 白猫が現れた祠の脇からひょっこりと顔を出す白いふかふかの毛の生き物。猫とも言い難く、熊にも似ているようで、しかし大きさで言えば狐や狸のような頭をしている。サファイアのような青いつぶらな瞳が可愛らしい。
 謎の白い生き物は、白猫と同様に祠から姿を現した。
 熊のように二本足で立って煤まみれを見ている。「熊のように」と言えども、大きさは成長した熊ほどもない。大体子熊程度の大きさだ。青い目の真っ白な子熊に見えるがそうも言い切れない。何せこの白熊の子供は人語を話す。
「うーん、メイトー様が呼んだの?」
 白熊の子供は白猫に話しかける。白猫はそのすらりと長い尻尾を一度だけ大きく振って見せた以外は白熊を見向きもしなかった。
「…てか、死んでるの?」
 白熊は二本足で歩いて、煤まみれに近付いた。警戒することなく、煤まみれが呼吸をしているかどうかの確認を行う。
「あ、生きてる。メイトー様、どうするの?これ。」
 白猫も煤まみれに近付き、匂いを嗅ぐ。
 そして、再びその傍らに姿勢よく座った。
「…死んだも同然な子?え、どういうこと?メイトー様、どういうこと?もう一回言って?」
 白熊の子供は耳に手を当てて、白猫に向かって聞き返す。
 白猫は「にゃーん」と可愛らしく鳴いた。


**********


 ――助けて。

 クグレックは真っ白い空間にいた。寒くもなければ暑くもない。壁もなければ空もない。ただひたすらに真っ白な空間だった。
 そんな空間に、女の子が一人しゃがんでしくしく泣いている。黒いおかっぱの髪型で、白い袴を着ていた。
 クグレックは近寄って、女の子と一緒になってしゃがんで声をかけた。
「どうしたの?」
「みんな、いなくなっちゃったの。お母さんやお父さんや友達や恋人が、みんないなくなっちゃった。」
 迷子だろうか、とクグレックは考えたが、こんな場所で迷子になったら到底見つからなさそうだ。
「お姉ちゃん、私、待ってるから。お姉ちゃんが来てくれるの、待ってるから。」
 と、女の子が言うと、女の子の体は次第に透明になって消えてしまった。
 クグレックは、女の子が存在していた場所に手をかざして動かしてみるが、そこには確実に何もなかった。
 クグレックは首を傾げながら立ち上がり、どこへ向かうともなく歩み始める。
 すると、今度は何もないところから声が聞こえ始めた。
「クグレック。」
 クグレックはびっくりして、辺りをきょろきょろ見回した。しかし、周りにはなにもない。
 それでも、いて欲しいと思った。
 その声は間違いなくクグレックの祖母の声だったからだ。
「おばあちゃん?どこにいるの?私もおばあちゃんのところに連れて行ってよ…」
 クグレックはがむしゃらに走り出した。が、ただむなしくクグレックの足音が真っ白な空間に響くだけで、クグレックが願う祖母の姿は一向に見つからなかった。
「クグレック、あなたはこちらへ来てはいけません。あなたは幸せになる権利がある。もっと世界を見て、世界の色を見て回りなさい。あなたにはその権利がある。仲間とともに楽しい時を過ごして、恋人を作り、子供を産むというただの幸せを願ってもいいの。だから、もうちょっと頑張りなさい。さっきの子も、あなたを待っている。だから、行ってあげて…」
「おばあちゃん、おばあちゃん、どこにいるの?」
 クグレックは真っ白な空間を当てもなく駆け回る。だが、どこへ行っても誰かに会うことが出来なかった。

作品名:はじまりの旅 作家名:藍澤 昴