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阿修羅に還れ  第一章

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阿修羅に還れ

一、京へ来た理由

 両手を合わせ目を閉じると、静寂の中をうねるように流れてくるのは過去にも聞き覚えがある阿弥陀経だろうか。
 信心などない自分が故郷を離れると決めた時に、不思議と足を向けたのがここだった。子供のころは法要や彼岸など退屈なだけで、よく大人達の目を盗んでは抜け出した。
 手向けた香の煙をゆらして立ちあがると、もう一度墓標を振り返りカヤの枝下をくぐって境内に出た。
「歳三殿」
「和尚」
 呼び止めたのは、ここの住職。石田寺の和尚だった。幼いころから遊び場にしていた寺の住職だ、土方家の四男坊の行く末を案じてきた一人である。
「京へ行きなさるか」
「はい、後をよろしくお願いします」
 歳三は和尚に頭を下げるとそのまま山門へ向かおうとして呼び止められた。
「まあ待ちなさい、急ぐこともなかろう。出発はまだ先じゃろう?」
 和尚の柔和な笑みについ、つられた。
「はい、3日後です」
「この寺には十一面観音がおられる、この仏は全方向を見守っておられ修羅道に迷う人々を救ってくださる。歳三殿は修羅の神、阿修羅を知っておられるかの?」
 カヤの根元に腰を下ろしながら和尚は歳三を促した。
「はい、その名前だけは」
(なんだ、和尚の話は仏さんの話かよ)
 昔から菩薩の話やら彼岸の話やら聞かされ、またか・・・とあきらめの境地。
 子供の頃ならばスキを見て逃げ出す事もできたものだが、仕方なく一応神妙な顔で腰を下ろす。
「まあそうかしこまらんでえい。神仏と言っても我らのようにえらく人間臭い話じゃて」
 かっかっか、と面白そうに笑う。
 境内の乾いた土の上に穏やかな日差しが踊っているのを眺めながら、歳三は和尚の話に次第に引き込まれた。気が付くと午後の陽はすでに傾きはじめ、冷たさを含んだ風にカヤの葉影が水面のように揺れている。
「これだけの話じゃ、さもない話につき合わせて悪かったの」
 と和尚は腰をあげた。
「京へ行けば、己の意と反することもある。しかし信じた道を歩くがよい。阿修羅も己の信じた道を進んだ。真実は誰かが知っておればそれで良いのじゃ、仏がいつも見ておわすでな」

 歳三は、まわりの大人達の思惑通りに育ってきたわけではなかった。石田村の土方家といえば大百姓で苗字も許された裕福な家だ。だが、どんなに裕福でも家を継ぐことができるのは跡取り息子だけだ。あとの男子は財産分けなどもなく、財産家の娘に婿入りするか商家に丁稚にでて商人となるか、そんな選択肢しか残されていない。もしくは自分一人でなんとか道を切り開いて生きていくか。
 案の定、お決まり通りに歳三も上野の松坂屋へ丁稚に出された。だが、何回奉公に出てもお店勤めが続かない、結局は店の女中と揉め事を作って奉公をやめた。それからは仕方なく、家業の石田散薬の行商をしていたが、ただそれも食い扶持を稼ぐためでしかない。
 歳三は薄々感づいていた。
(ここには、俺の生きる場所はない)と。
 幼いころから歳三は武士になりたかった。漠然とした憧れだったから百姓の倅は武士になれないとわかっても、その夢を捨てることはなかった。
 やがて薬箱に竹刀を括り付け行商をしながら剣術を始めた。行商の行く先々で道場を見つけては教えを乞う。そしてすぐにそこそこの腕にはなった。
 江戸では昨今、鏡新明智流の桃井道場だ北辰一刀流だ神道無念流だと剣術道場が人気を集め、いっぱしの剣術家きどりの輩は掃いて捨てるほどいた。そして免許皆伝なんてのもごまんといるのだ。
 歳三が剣術をやっているのは、武士が二本差しだからである。腰の刀がただの飾り物では格好悪いからである。これほど剣術が脚光を浴びることになったのは、世の中が騒がしいからで、黒船が浦賀にやってきた時から男達を熱くさせている。
 歳三が武士になる夢を捨てなかったのも、剣術を続けたのも、そんな時代に生を受けたからなのかもしれない。
 歳三も剣術道場に入門した。天然理心流という道場で有名人気道場ではないまでも、ここに歳三にとって魅力のある男がいた。
 近藤勇。
 元々は多摩の百姓の倅だが、試衛館道場へ養子に入って武士になった男だ。近藤が歳三の夢の象徴のように思え、近藤勇の傍らで過ごす時がこの上もなく至福に思えた。年齢が近いこともあり、気が合いひどく心地よく家にいるより落ち着いた。そしてなにより、近藤勇は熱い男だった。
 近藤勇を慕って道場に居ついたただ飯喰らいの食客も一人や二人ではない。誰とでも剣を交え、一緒に粗末な膳を囲んだ。試衛館は人気の道場ではなかったから、たくさんの門人がいるわけではない。多摩へ出稽古に行っては、農民にも剣術を教え故郷の人々と大いに語らった。
 近藤の出稽古先には、歳三の義兄の佐藤彦五郎の屋敷内に作られた道場もあった。幼くして両親と死に別れた歳三を可愛がってくれたのが、姉ののぶとその嫁ぎ先の夫、佐藤彦五郎だった。そこで歳三は近藤勇と知り合い、同郷の井上源三郎とともに天然理心流の剣術を学ぶことになったのだ。
何をやっても真から興味の湧かぬ歳三だったが、剣に対する近藤の熱い思いは好きだった。剣術流行りで、我も我もと免許皆伝だとのし歩く武士まがいの連中に嫌悪感を抱き、流派が何だ剣術がなんだと思っていた歳三は、ただ自分が強くなることのみを求めて行商の合間に腕を磨いてきた。だから、歳三の剣術は試衛館に入門してもほとんど我流。それは生涯直ることはなかった。
 それで良いと思っていた歳三が近藤の道場に正式に入門した時、歳三はすでに青年となっていた。ちょうど浦賀にきたペリーが条約を結べと幕府に詰め寄っていた時期あたりだ。江戸の試衛館には住み込みの内弟子ですこぶる腕の立つ少年がいた。それが沖田惣次郎。生意気な餓鬼だが、誰も剣では敵わない。
 歳三は剣で飯を食おうだなどと思っていない。剣術家になるつもりはなかったし、いま流行りの尊王攘夷の志士になるつもりもない。だが、近藤は熱い男であるがゆえに試衛館を出入りする食客や交流のある人物らに触発されて尊王攘夷論を語る人物になっていた。
 試衛館の食客はその辺のゴロツキとは違い、脱藩した武士だったり、とある藩主のご落胤だったり…。だが、どいつもこいつも腕に覚えのある熱い男達であった。食客たちは出身も生き方も違うはずが、試衛館という同じ釜の飯により志を同じくして京に登ったのだ。
(俺は何故、京に来たかったのだろう)
 京に呼ばれた、ように思うのだ。
 世の中は浦賀に黒船が現れてからとかく騒がしい。
 江戸の市中で初めて見た外国人は、何事にもあまり驚かない歳三でさえ二度も三度も振りかえってみたものだ。そんな外国人と、幕府が結んでしまった二つの条約日米和親条約と日米修好通商条約で長い間絶ってきた外国との交流が始まったのである。そもそもこれがこの国に尊王攘夷だ勤王の志士だというものを生み出した。
(熱い近藤さんが、余計に熱くなっちまった…)
 だいたい幕府のお偉いさんが、勝手に条約を結んだからと言って憤慨するのも致し方ないとはいえ、今さら外国人に我々一般人が出て行けと危害を加えたり乱暴するのは何かおかしい気がする。
作品名:阿修羅に還れ  第一章 作家名:伽羅