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私の読む「源氏物語」ー18-

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須 磨

 源氏は春に二十六歳になった。この頃、世間の噂は源氏に不利なことが多く彼もそのことが煩わしく思っていた。噂は下賤なことが蔓延るものである。こんな事に惑わされておろおろするよりも知らぬ顔を決めていてもよいのであるが、源氏はさらに大きな事件に発展すると思い、どこかに身を隠すことを考えていた。
 播磨の国須磨は、以前には都の貴族達の別邸が多くあり栄えたのであるが、今では廃れてしまい人里から離れ淋しい海岸になってしまい、漁師の家でさえまれである。源氏はこのように聞いていたが、
「人が多く、ごみごみしたところで住むことは、私が世を離れて我が身を反省する生活を送るにはそぐわないであろう。そうといって、都から遠く離れるのも、この二条の家や紫のことを考えると気がかりになるのでは」
 と、明らかに心が乱れた様子で人前でもみっともないほど悩み続けていた。。
 源氏はこれまでの自分の行動を振り返ってみると、今までのこと将来のことを考えると、悲しいことばかりが頭に浮き上がってくるのであった。嫌な世の中である捨ててしまって隠遁しようと、さて家を離れようと決心するが、捨てがたいことが多い。なかでも、正妻となった紫の上がこれから先明け暮れ日の経つにつれて思い悲しむ様子が目に浮かび大変気の毒で悲しいと思う。
「下の帯の道はかたがたに別るとも行きめぐりても逢はむとぞ思ふ(下着の紐が左右に分かれてもまた結び合わされるように、あなたとわたしがこれから行く道はそれぞれ別になりますけれどもいずれまた巡り会うことになります)」という古今集の紀友則の歌を口ずさむが、やはり一、二日の間、別々に過ごした時でさえ、とても紫が気がかりで、紫もまた心細い思いをしたと言っていた、ということを思い出すと、流罪の人は六年または三年後復任を許されるとある。源氏は自主的に退去したので、何年と限ることができない、「何年間離れるという期限のある別れでもなく、再び逢えるという約束も出来ない当てのない別離である、無常の世である、このまま生涯別れ別れになってしまうようなことになるのではないか」と、源氏はたいそう悲しく思っているので、「こっそりと一緒連れて行こうか」と、思ってみたりもする。だが須磨の海岸の淋しいところに、波風より他に訪れる人もない地に紫のような可愛らしいあの紫を連れて行くことはまことに不似合いで、自分の心にも、かえって、そんな紫が物思いの種になるにちがいない、などと考え直してみるが、紫は、「どんなにつらいところでも、源氏と一緒できたら」と、それとなくほのめかしているのであるが、源氏からいい返事がないのを恨めしそうに思っていた。
 源氏はあの花散里にも、その後まれに訪れているが、今は桐壺院亡き後どちらからも庇護もなく心細く気の毒な境遇を、ただ源氏の後見のだけに頼って過ごしているので今回の源氏の決心を聞くと、麗景殿が嘆きになる様子いかにもごもっともである。
 源氏にとってはほんの気まぐれで関係を結んだ女の所では、人知れず心を痛めているのが多かったのである。
 藤壺入道の宮からも、「世間の噂は、また二人の仲をどのように取り沙汰されるだろうか」と、自分は用心をするが、源氏には人目に立たないよう立たないようにしてお見舞いの文や言葉が信用ある女房の使いを通して始終ある。
「昔、このように互いに想いあい、情愛をお見せくださったのであったならば」と、源氏はふと藤壺と情を交わしたことを思い出すにつけても、源氏はこれまで藤壷との恋で味わった嘆きと、今せっかくやさしくして下さっても、もうどうにもならぬ嘆き、心の限りを尽くさなければならない宿縁のお方であったと、藤壺のことを辛く思っていた。

 源氏は三月二十日過ぎ都を離れた。
 出発の日は誰にも教えなかった。供の者はかねてから源氏に仕えて気心が良くわかっているもの七、八人ほどであった。ひっそりとした旅立ちではあったが、しかるべき所々には、手紙だけをそっと送ったが、しみじみと書かれた文面はすばらしいものであった。読む者は気が動転して出発の日をはっきりと聞いて置かないままになってしまったのであった。
 出発の二、三日前に、夜の闇にまぎれて、亡き葵の実家である左大臣邸を訪問した。網代車の粗末なのに乗って、女車のようにひっそりと左大臣邸に入るのも懐かしくて実にしみじみと夢かとばかりに思う。かっての自分の部屋は、無人のままなのでとても寂しそうに荒れた感じがして、葵の産んだ源氏の子供の乳母や、葵の生前から仕えていた女房の中で、里へ下がらずにいた人は皆、源氏が急にこのように訪問になったのを珍しく思い、皆が源氏の前に集まってきて、まだ勤めて間がない若い女房でさえ、源氏が今置かれている立場に同情して、涙にくれた。
 源氏の子供はとてもかわいらしく、父親が現れたことに喜んではしゃいで走っていた。
「長い間逢わないのに、忘れていないのが、感心なことだ」
 と言って、源氏は膝の上に乗せ可愛らしい子供と別れるのが堪えきれなさそうであった。
 舅の左大臣もこちらにお越しになって源氏とお会いになった。大臣は、
「所在なくお引き籠もりになっていらっしゃる間に何ということもない昔話でも、そちらに参上してお話しでもしようと思っておりましたが、私は病気すこし重いという理由で、内裏にも参上しません、それで官職までもお返しておりますのに、私事に出歩くということは、世間の評判を落としかねないと、世間に遠慮しなければならない身の上ではないのですが、厳しい世間の目がとても恐ろしいのでございます。貴方の今回の除名処分と自主的須磨へ退去という悲運を拝見するにつけても、長生きはしたくないものだと考えさせられる末世でございますね。天地を逆様にしても、このような境遇に落ちることはないと確信していましたのに、万事がまことに不運な方向に向かっていると思わずにはいられません」
 と源氏に訴えるとひどく涙にくれていた。
源氏は舅の大臣の姿を見て、
「このようなことも、あのようなことも、前世からの因果だということですから、せんじつめればただ、わたくし運がないということです。これと言った理由で、はっきりと私のように官位を取りあげられるのでなく、ちょっとした罰を受け、朝廷のお咎めを受けた者が、同じように生活していることはよろしくないとされるのはこの国ばかりのことでもありません。重い罪としてかの唐土でも致しておるという遠流に処すべきだという声もあるようですが、私の罪が容易ならぬ重いものである罪科に当たるということでしょう。私は無罪であり潔白であると、素知らぬ顔で毎日を過ごしていますのもまことに憚りが多く、これ以上大きな辱めを受ける前に、都を離れようと決意致した次第です」
 などと、源氏は舅に詳しく話される。
 大臣は昔の話をして、亡き桐壺院がどれだけ源氏を愛しておいでになったか、その例を語り、涙をおさえる直衣の袖を顔から離すことができないのである。源氏も泣いていた。若君が無心に祖父と父の間を歩いて、二人に甘えることを楽しんでいるのに周りの女房は心が打たれる。左大臣は