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きんぎょ日和
きんぎょ日和
novelistID. 53646
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お母さんとの電話。~最低限の共通。~

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お母さんが言うバプテスマと聖書に書かれているバプテスマが違うので、読んで調べこなすのは大変なので、私は聖書の索引から出来る限り調べてみた。
読むべき所を上がそっと教えてくれたりすると助かる。
そしてまたお母さんを驚かせる内容を見つけてしまった。

『お母さん、それよりもたまげる文章を見つけた…。いろいろ読んでたら、ガラテアの第一章に辿り着いた。簡単に説明すると、“聖書に書かれているそれ以上のことを伝えるものがいたら呪われるべきだ。”って書いてある。』
と説明したら、
『ウソーーーッ?!』
とお母さんは飛び上がると、すぐにそこを読んだ。
『本当だ~。』
とオロオロし始めた。
『お母さん、やっぱりこの人神様じゃなくて違うかもよ!!それ以上のことをしたら呪われるんだよ!!私呪われたくないし…。話したくて話してるわけじゃないし…。誰か代わってくれないかなぁ~。』
とお母さんに訴えたら、そこの部分は相変わらず揺るがずに、
『いや、それは神様だから大丈夫。』
と自信を持ってはいるけど、私にとってはなんの効力もないことに気付いてない気がした。
そんなやり取りをしていたら自称神と言っている上が、
『自称神ですか…。まっ、私が何にせよ、呪われるではなく、“呪われるべきだ。”と書いてくれた人がそう思ったのでしょう。どうしてそのようにその者が書いたかと言うと、私やキリストが言葉を伝えても、すぐにその意味を履き違えてしまうのです。どう履き違えるかと言うと、例えば私がした約束は、“どんな人であろうと死んだ後に復活がある。”としているのに、宗教の方々の場合はその言葉を、“神について証すものとなったら無償で復活が与えられる。”と説明していますね。このように、簡単に履き違えが起こると言いたかったのでしょう。私の約束の中には、“神について証すものとなりなさい。”という言葉は入っていはいませんね。そのように付け足してもいけないということですね。もしかしたら、宗教の方々は良かれと思ってのことかもしれませんね。それと、それ以上に伝えてもいけないと言ったのは、私やキリストの考えではないことまでも言われてしまうからです。と言うことは、宗教の方々が良かれと思ってしたことも良かれではないのかもしれませんね。だから聖書以上のことを伝えてはいけないと言ったのです。』
と説明を補った。
それを聞いて私もオロオロなって、
『お母さん、聖書以上のことを伝えたらいけないんなら、宗教のおばちゃんたちの手引となる本って思いっ切りそっちなんじゃないの?!あれ聖書じゃなくて、宗教から出た本だよ。それか宗教の人たちって呪われても構わないから、それでも神の存在を知って欲しくて、自分たちを犠牲にしてまでもそういうことしてるのかもよ。それならめちゃくちゃ凄いけど…。』
と言ったら、お母さんに即否定された…。
『それはないわ~。それはないよ~。みんな自分が神に選ばれた唯一の人って思ってるくらいだから、人を助けるために自分を犠牲になんかは…ないよ~。』
と心を込めて言われた。
そこまで言われると何とも言いようが…。
[上];『宗教から出ている本がたくさんあるようですが、聖書の内容をそのまま伝えているのであれば良いと思いますよ。宗教の方々はよく、“曲解してはいけません。”と言いますから、その本の内容も曲解してはいないのでしょう。もし曲解しているのであれば、どのようになるのかは本人たちがいつも言っているのでそういうことになりますね、お母さん。』
と言った。
私はその言い方にゾッとした。
でも宗教の人たちのことをよく知らないので、お母さんに意見を聞いた。
お母さんが、
『怖いわ~。でもその通りと思う…。曲解したら地獄行き…みたいなことを言ってる。どうなるんだろう…宗教の人たち…。勉強止めた方がいいかなぁ~?!』
と言い出した。
そんな中上が口を開いた。
『“それ以上のこと”とは、例えばバプテスマについてですが、キリストが人として生まれてくる前までは、私が直接バプテスマを行っていましたが、キリストが天に…上ですが、戻って来た後のバプテスマについては、“父(神)と子(キリスト)と聖霊でバプテスマを施す”と書いてあるならば、その三つで行うということですね。神とキリストと聖霊で行うと約束しておきながら、“やっぱり人が各々したい時にしていいですよ。”と言い換えるでしょうか。“水のバプテスマ”に変わりました…なんて言うでしょうか。聖書以上のこととはそういうことなのですね。その場その場で言い分を変えるような神ならば私はそんなもの必要ないと思いますが…。私がそのような神ならば私も必要ないと思いますよ。』
と言った。
私はいろいろ言い返したいのだが、筋が通っているような気がして、咄嗟に何も出ない。
お母さんにどう思うか見解を求めた。
お母さんはそれを聞いて、
『いる、いる~!!神様はいるよ~。…でも、それ以上ってそういうことかぁ~。恐ろしい~。でも、納得…。』
とやっぱり上よりの言い分だ。
上は嬉しそうに笑っている。
[上];『お母さん、ありがとうございます。』
の言葉にお母さんは喜んで、
『はい。』
と元気よく返事をした。
仲の良い二人だ…とたまに思う。
[上];『私は最低限のルールは必要だと思います。そうでなければ、誰も彼もが自分勝手にしてしまいますからね。宗教の方々は“自由意志”と言いますが、その言葉は聖書の中にありませんね。“自由”と“意志”と別々には出て来ますが…。その二つはどういう意味ですか?国語辞典で調べると良いと思いますよ。』
と言った。
お母さんがまた受話器の向こうでフリーズしてる。
『お母さん、お母さん、何かコメント!!…もしもし?!』
と訴えた。
『…自由意志が…ない…?!…また?!』
と途切れ途切れが聞こえた。
なので私はネットで調べてみた。
『お母さん、簡単に言うと、聖書の中のストーリーを指してその行いを“自由意志”と宗教の本の中で示してるみたい。これも勝手に作ったって事は、ガラテアの話に重ねたら…ちょ~怖くない?!』
と私は言った。
お母さんは一言、
『あらまぁ~。』
と言った。
[上];『ちょ~怖くない…かは分かりませんが、まっ、ガラテアに重ねると…ねっ…。』
と言った。
そして私はネットの国語辞典で調べた。
自由とは、自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。
     勝手気ままなこと。わがまま。(ネットから引用)
意志とは、あることを行いたい、または行いたくないという考え。意向。(ネットから引用)
とある。