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家に帰り着くまでが旅行です。

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ホテルにて



「はぁッ!?」
凛の大声があたりに響き渡った。
シドニーのホテルのフロントである。
さっき、凛と遙はパスポートをフロントに提出し、チェックインの手続きを済ませたあと、渡されたルームキーは一本だけだった。
"俺は予約を入れたとき、シングル二部屋って言ったはずだ!"
"さあ、どうだったかしら"
フロントの女性は毅然とした態度で凛に接している。
そして、これらのやりとりはすべて英語なので、英語が不得意な遙にはまったく理解できていない。
"男女ふたりで、ふたり分の部屋、とでも言ったのでは?"
"そんなふうに言った覚えはない"
"仮にそうだったとしても、今さらどうしようもないわ"
"部屋を替えてくれ"
"それは無理。今日は満室なの。嫌なら他のホテルに行ってもらうしかないわ"
フロントの女性は凛の要求をはねのけ、さらに続ける。
"ただし、キャンセル料は必要よ"
「あー」
凛はがっくりと肩を落とし、うなった。
「マジかよ」
そうつぶやいたあと、顔をあげた。
"そっちのミスだろう?"
右腕を大きく広げて、主張した。
けれども。
"いいえ、規則だから"
きっぱりとフロントの女性は言った。
"予約の時にも伝えたはずよ"
たしかにキャンセル料のことを予約を入れた際に説明された記憶がある。
凛はぐぐっと歯を食いしばる。
そこに。
「おい、どうしたんだ?」
遙が話しかけてきた。
だから、凛は隣にいる遙を見た。
遙はさっぱり状況がわからないといった様子で、水のように澄んだ瞳を凛に向けている。
「あー……」
気まずい。
でも、今の状況を説明しなければならない。
「俺はこのホテルにシングル二部屋って予約を入れたつもりだったんだが、用意されてたのは一部屋だけだった」
無言のまま遙はその眼をフロントのカウンターに向けた。
遙の視線の先にあるのは、さっきフロントの女性が差し出してきたルームキー。自分たちに用意された部屋の鍵だ。一本しかない。
「だから、部屋を替えてくれって言った。だが、今日は満室だから無理で、嫌なら他のホテルに行けってな。それで他のホテルに行くんなら、キャンセル料がかかるんだとよ」
みっともないと思う。
自分のミスではないはずだが、それでも、問題なくホテルの部屋まで行けなくて、カッコ悪ィと感じる。
それはともかくとして、今は起きてしまった問題をどうにかしなくてはいけない。
「しょうがねぇ、他のホテルに行くぞ」
キャンセル料を払うのはやはり納得しきれないが、こんなところでいつまでもゴタゴタしていたくない。だから、きっぱりと言った。
しかし。
「ここでいい」
遙は無表情を崩さず冷静に言い、カウンターに置かれた一本しかないルームキーを手に取った。
「え、おい」
戸惑う凛をよそに、遙はフロントの女性のほうを向いた。
「ルームナンバー?」
思いっきり日本語風な発音だったが、フロントの女性には遙の言いたいことがわかったらしい。
"25"
彼女は遙にも聞き取れるようにゆっくりと簡潔に答え、さらに階段のあるほうを指さした。
遙はうなずき、それから、フロントの女性が指さしたほうを向く。歩き出す。
「ハル!」
驚いて、凛も歩き出した。
「おい、ハル、どういうことなのか、わかってんのか!?」
「わかってる」
「俺たちふたりに対して、部屋はひとつだけなんだぞ!?」
「さっき聞いた」
凛になにを言われても、素っ気なく返事をしているあいだも、遙の歩く速度が遅くなることはない。
やがて、25、とルームナンバーが記された白い扉のまえまで来た。
遙はその扉の鍵穴にルームキーを差し込み、解錠する。
続けて、扉を開けて、部屋の中に入った。
本気なのかよ!?
そう胸のうちで叫びながら、凛も部屋へ入っていく。
部屋の中を進む。
そして……。
それを、見た。
ベッドがある。
宿泊するための部屋であるので、とうぜんだ。
しかし、ベッドはひとつしかない。
しかし、ベッドの上には枕がふたつある。
「嘘だろ……………………」
そうつぶやくと、凛は眼を大きく開いたまま凍りつく。
自分たちふたりに用意された部屋がひとつだけだとわかったとき、想像した部屋はツインだった。
まさかダブルだったとは……。
ひとつのベッドに枕がふたつ……。
しかも、今この部屋にふたりきりでいる相手は、女で、それも憎からず思う相手である。
十代の青少年である凛には眼に厳しい光景だ。
それだけではない。
ふたつの枕には、それぞれ、YES、NO、と書かれている。
いらっしゃーい、という軽快な声が凛の耳にこだました。
なんでアレがここに!?
たしかに書かれているのは英語だけれども!!!!!
そう胸のうちで叫び、直後、ハッと我に返る。
凛は遙のほうを向いた。
「これで現実がわかっただろ!」
フロントでもしたように右腕を大きく広げ、主張する。
「他のホテルに行くぞ!」
とうぜん遙も同意するだろうと予想した。
だが、遙は冷静な眼差しを返してきた。
「ここに泊まる」
「なんでだよ!?」
問いかけた凛の声は悲鳴に近かった。
「このホテル、今日は満室なんだろう? だったら、他のホテルも満室かもしれない」
いつも通りのクールな様子で遙は話す。
「今、日本は夏だが、ここは冬だ。他のホテルも満室で、空いている部屋がまったく見つからなかったら、冬の夜に野宿するつもりなのか?」
いつもより多く喋っている。その内容は大変理路整然としている。
凛に反論の余地はなかった……。



「……わかった。じゃあ、俺は床で寝る」
うつむいた凛はそう遙に低く告げた。
遙は返事せず、近くにあるテーブルに荷物を置いた。
気まずい……と凛が思っていると。
「じゃあ」
遙の声が聞こえてきた。
「風呂に入る」
なんだって!?
なにを言った、今、コイツは……!?
驚愕の表情を凛は遙に向けた。
遙は平然として、ベッドがあるのとは反対の方向を指す。
「風呂はあそこにあるんだろう?」
ええ、たしかにこの部屋はバストイレ付きです。
部屋の外のホテル内に大浴場があるわけではありません。
凛が凍りついていると、遙は小首をかしげた。
「おまえが先に入るか?」
とんでもないことを提案してきた。
一瞬にして凛のまわりの見えない氷は砕け散り、凛は大きく首を左右に振った。
「いやいやいやいやいやいやいや!」
あきらかに通常とは異なる凛の様子に、遙は眉根を少し寄せた。
まるで、アレだ、不審者を見るような目つき……!
凛はギクッとする。
風呂に入ると遙が言ったとき、つい想像してしまい、それからずっと頭から消えてくれない内容を知られたら、今の自分の頭の中を遙にのぞかれたら、自分はたしかに不審者かもしれない。
俺は十代の男なんだぞーーーーーー!!!
凛は胸にうちで絶叫した。
そして、絶望的なことに、遙はなぜ凛があせっているのか、ぜんっぜん、わかっていない。
「ランニングしてくる!」
そう宣言すると、凛は踵を返し、部屋の外へと駆けだした。



そして、充分時間を置いてからホテルの部屋にもどった凛は、風呂あがりの遙の香りにノックアウトされそうになった。



風呂からあがった凛は部屋の床をじっと見る。
せめて毛布一枚でいいからほしい……、床に敷きたい……。