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つだみつぐ
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農薬の話

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はじめに




 最近私は「農薬の恐怖」について語らなくなった。一つのきっかけはかなり前に見た赤峰勝人氏のビデオである。
 消費者会員の一人から、「是非見てください」と渡されたビデオテープの中で、「にんじんから宇宙へ」などの著書などで知られる大分県の農業者赤峰氏は次のように語っている。
 「化学肥料はですね、土の中でダイオキシンに変わるんですよ。」
 
 塩素化合物であるビニールを燃やすとダイオキシンが発生する。ダイオキシンはベンゼン環に塩素がくっついた構造をしている。硫安や尿素や過リン酸石灰といった塩素を含まずベンゼン環もない化合物がどう反応すればダイオキシンに変わるのか。窒素が塩素に転換するという「元素転換」でも仮定しない限り不可能である。だいいち、常温でどう反応するのか。
 それが事実なら世界中の農地から(そして世界中の農産物から)ダイオキシンが普遍的に検出されているはずである。
 いったい何を根拠に言っているのか。どこでどうやってその事実を確認したのか。
 普通の人ならそう質問するだろう。このような重大な説を唱えるなら論拠を明らかにすることは当然の義務だ。しかしビデオテープの中でインタビューアーは
 「そうなんですか、怖いですね。」

 これは「恐怖による洗脳」だ、と私は直感した。
1.ダイオキシンは怖い。
2.化学肥料は怖い。
結論:化学肥料はダイオキシンである。

 そして気がついてみればこれほど非科学的ではないが「環境派」の学者や市民運動家の主張には根拠がはっきりしないものが多い。「食べるな危険」という書物なんかめちゃくちゃだった。
 
 恐怖は人の思考力を奪うのか。
 農薬に反対する私達も過剰な恐怖をあおってきたのではないのか。

 もう一つの例を挙げよう。私達農薬反対派がよく参照するのは三省堂の「農薬毒性事典」である。この本について農薬製造会社に研究者として勤務していたAさんは自分のホームページの中で次のように述べている。

 「農薬毒性事典」の序文で植村振作氏は次のように主張している。「ある昆虫館で餌にしていたやさいが不足したために市販のやさいを蝶に与えたところ全滅してしまった。」そして残量農薬のおそろしさを説いている。私(Aさん)は次のような質問状を送った。?昆虫館は具体的にどの施設か?やさいを食べる蝶とはどんな種類か

 蝶はやさいを食べない。昆虫にはかじる口・刺す口・吸う口の3種類の口があるが、蝶には吸う口しかない。そもそも何かを「食べる」ことができない。蝶の幼虫であればかじる口を持ち種により特定の植物を食べるが「やさいを食べる」のはモンシロチョウの幼虫ぐらいのものである。しかしモンシロチョウを飼うならアブラナ科の植物をその辺に植えておけばいいので、わざわざ「やさい」である必要はない。ところで昆虫館ってモンシロチョウを展示するだろうか?

 Aさんのホームページには植村氏からの返事が載っている。「私は昆虫館の責任者から直に聞いた。疑問があるならあなた自身で調べればいいだろう。」という木で鼻をくくったような返事である。
 このやりとりはどう見てもAさんの方に分がある。植村氏は農薬擁護派と議論するつもりはない、ということかもしれないが、科学的な批判にはきちんと答える義務がある。植村氏はいくつかの著書もあり、環境派のリーダーの一人なのだからなおさらである。Aさんはこれにもかかわらす「農薬毒性事典」については「正確で役に立つ」ときちんと評価している。公正で科学的な態度だと思う。

 私(津田)は十数年前に「農薬毒性事典」を購入した際にこの序文を読んでいるはずである。しかし、「蝶はやさいを食べないのでは?」という疑問を持った記憶はない。その少し前に「市販のやさいを食べさせたカナリアが死んだ」という話をきいていたので、何の疑問も持たず読み流したに違いない。こんな風に科学的な根拠のない怪しげな「事実」が「農薬は怖い」という恐怖心に乗っかってどんどん広がってしまうに違いない。これではまるで都市伝説である。
 もっともこうしたことは農薬問題に限らない。「水からの伝言」とか「百匹目の猿」とか、マイナスイオンは体にいい、とか、酸性食品をとると体が酸性になるからアルカリ性食品をとるべきだ、とか、血液型による性格分類とか。科学者が口をそろえて否定しても信じる人は後を絶たない。本にも書いてある。少なくとも文章を書く仕事をする人はもうこんなことはやめなければいけない。

 いや、他人のことはともかく、私は次の原則をたてることにしよう。
1.検証された科学的事実・検証されていないが実際にあったこと・他人の説・私の推測・私の意見、読む人にこれらのどれにあたるのかがはっきりわかるように書くこと。
2.「事実」に関しては根拠を明らかにすること。
3.私自身を信じないこと。
4.反対意見・「不都合な真実」に対して謙虚であること。
5.恐怖心をあおったりそれを利用したりしないこと。

 にもかかわらず、私は「中立」であろうとか、「中庸」であろうとかは思わない。上記の原則は、私がある特定の立場に立つことと矛盾するものではない(正確に言えばその二つが矛盾しないような態度をとることは可能である)。相変わらず私は私の「意見」は(他人を批判することを含めて)はっきり発言するだろう。
 だからあなたは私の「意見」を「信じ」ないでほしい。あなたが見ている事実は「津田貢がそのように書いている」ということだけなのだから。

作品名:農薬の話 作家名:つだみつぐ