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彗クロ 4

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4-7



 日が沈めば暗くなるのは自然の摂理である。
 いかに設備万全きらびやかなスイートルームといえど、灯りをつけなければ暗いままなのは道理だし、そもそも住人が不在ならばさもあらん。管理万全な一級ホテルで気を抜いて、鍵をかけ忘れたまま外出してしまうということも、いかにもありそうな状況である。……ではあるが。
 ルークの予見通り山ほどの土産を手に「一時」帰宅したフローリアンは、部屋の中央に佇み、誰もいない室内をゆるりと見回した。最後に首を回してロフトを見返ると、胡乱な眼差しがいっそう剣呑に細められる。
 気配は凪いでいる。争った跡だとか、泥棒の痕跡だとか、その手の異常も見当たらない。――ロフトに置かれた高椅子が一脚、横倒しに打ち捨てられているのを除いて。
 犬歯を剥いてイカ焼きを串からはぎ取りながら、何にともなく、呟く。
「……ちょっちコレ、ヤバくない……?」

***

 幻を追いかけているような気分だった。
 赤い頭の獣は常に遙か視線の先、それと姿が認識できる際(きわ)で見え隠れを繰り返す。追うルークがようやく人混みを抜け出た頃には、獣はすでにひとつ上の階層の隅に姿を消すところだった。すかさず昇降機でその階層に上がれば、さらに上層への昇降機に逃げられる。ルークはあきらめず追尾する。
 そんなことを何度か繰り返すうち、つかず離れずの鬼ごっこはバチカルの奥へ、裏へと、入り組んだ経路を辿り始める。獣は手始めに昇降機裏の非常階段を利用してルークの意表をつくと、今度は住宅街に逃げ込んでさんざん振り回したあげく、きわめつけには工事中のまま放置された区画に潜り込んで、仮設の足場をアスレチック代わりに上へ上へと攻略していってしまう。
 ……完全に手玉に取られている。必死の思いで工事現場をようやく抜け出し、荒くなった呼吸を隠すこともできずに、ルークはぎりりと奥歯を食いしばった。
 獣の足取りに迷いはなく、バチカルの多層構造の利を存分に駆使して立体的に逃げ回る。その身のこなしは実に軽快かつ野性的。身軽さだけなら、平穏な日常にうずもれかけていたルークを遙かに凌ぐだろう。
 にも関わらず、完全に引き離されることはない。いっとき見失ったと思っても、すぐさま視界の隅に鮮やかな赤がよぎる。時にあからさまに足を止め、こちらを待っているような仕草すら見せた。それでいて、視界の中に留めておくことも難しい。認識が追いついた瞬間に踵は返され、逃走は容赦がない。
 そう、あの獣は、逃げている。ルークを追跡者と認識し、間違いなくルークから逃げ回っているのだ。
 そのくせ振り切るつもりはないらしい。その姿はいつまでたっても遙か前方、決して距離は縮まらない。それはまるで、現実に横わたる二人の差、そのものの示唆のようにすら、ルークには思えてならない。
 見せつけられているのではないかと歯噛みする。責められているのではないかと、焦燥せずにはいられない。
 恐怖が胸をかきたてる。糾弾を欲していたのは自分自身なのに、今は何より恐ろしい。
 けれど、目の前にこうして姿を現しておきながら、決して物言わぬそのありようのほうが、本当はもっと恐ろしい。
「ッ……どうして、おまえは……っ」
 絞り出すように呟いて、それきり絶句する。何を言っても弱音にしかならない。己を負け犬に貶めるには、あまりにも虚栄を積み重ねすぎた。心を救わぬ自尊心ばかりが堆(うずたか)く、しかしそれこそが今あるルーク・フォン・ファブレを構成する芯であり、実体だった。だからこそこの厚顔無恥の一年がある。誰もが指摘を恐れる己が罪を、業を、なかったことになどできないからこそ……!
 ――騒がしい羽音が思考を塗りつぶし、ルークはぎょっとした。気づいたときには視界いっぱいを純白が埋め尽くしていた。バサバサとやかましく、ルークの行く手を阻む明確な意図をもって、白い翼が幾重にも妨害してくる。
「!? なん、だっ、キサマら……っ!?」
 ルークはがむしゃらに腕を振って応戦した。生物にしては妙に乾いた感触をかき分け、いくつかはたき落としもしたが、どこからともなく次々と援軍が現れていっかな途切れない。
 ものの一分にも満たぬ攻防だったが、ルークにとっては大きな代償となった。現れたときと同様、唐突に去った妨害者が残していった現実は、尋常でない絶望だった。
 そこは、外側に吹き抜けになった石造りの通路だった。見覚えがある。中層部の区画同士を繋ぐ、外周回廊。
 世界は暗く、空は知らぬ間に暖色の一切を失っていた。ひどく痩せた月のささやかな輝きは、それでもなんとか周囲をうすぼんやりと浮かび上がらせてくれる。寒々しい夜風が吹き込む灰色の廊下に、身動きするものは存在しない。どんなに先へと視線を馳せても、赤い獣は、どこにもいない。
 見失った――
 明瞭すぎる実感に、全身から血の気が引いた。焦燥、失意、……わずかな安堵。なにもかもがルークをその場に縫い止め、立ち尽くさせた。
 ……すぐにでもあとを追わなければ。虚脱の飽和した全身から、一握なりと気概を浮上させることは並大抵のことではなかった。九割九分の諦観を引きずりながら、それでもなんとか重い足を前へと運ぶ。しかし、数歩と行かぬうちに、また停止を余儀なくされた。――誰かが来る。
 前方からのんびりと現れた人影は、当然、赤い獣ではなかった。細々とした月明かりに、淡い銀色が浮かび上がる。長身の男だ。旅着も馴染んだたたずまいは、単なる観光客にしては隙がなく、戦士と呼ぶには緩すぎる。背に負う大仰な木箱を見るに、行商人の類だろうか。
 ルークは取り繕うように呼吸を整えた。……第三者との遭遇の可能性を完全に失念していた。追跡劇が裏道にはずれてからこちら、誰ともすれ違わなかっただけに、急に気恥ずかしさめいたものがこみ上げる。
 自分自身を――ルーク・フォン・ファブレという殻の下にしまい込んできた内側を、剥き出しにしすぎた。それも自我の奥深く、恥部ともいえる致命的な深層を。ここに至るまでに誰かに目撃されていたかもしれないと思うと、今になってひどくいたたまれない。
 早々にやり過ごしてしまおうと、ルークは平静を装って歩き出した。投げやりな気分を飽和させてしまった全身は鉛のごとく、動かすのも億劫だったが、幸か不幸か、意識は切り替わってしまっている。虚勢を張り、己を偽ることは、ルークにとって日常の延長だ。両親やナタリアならともかく、初対面の通りすがりを誤魔化すことなど造作もない……
「――……?」
 ふ、と、素朴な甘さが鼻孔に触れた。さく、しゃく、さく。どこからか切れ切れに、軽やかなノイズが脳裏に混ざり込む。
 ルークの目は、漫然と、しかし抗いがたく、すれ違う男の横顔に引きつけられる。淡い月光に縁取られた姿は、端正に整った若々しい男。――違和感未満の既視感がかすめる。
 ルークは足を止め、怪訝に旅人を振り返った。
 歩み去る背中に、これといって不審なものは感じない。こうも際立って特殊な状況下でもなければ目に留まることもないだろう、通り過ぎていくだけの大衆の一人だ。……しかし。
「――おい」
 直感めいたものに突き動かされ、ルークは躊躇なく男を呼び止めた。
作品名:彗クロ 4 作家名:朝脱走犯