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彗クロ 4

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4-5



 赤みを増した光が印字と余白の境界線を融かした気がして、ふと、ルークは文字と星図の世界から己に戻った。
 まばたきをひとつ。知らぬ間に強ばっていた首をゆるりともたげる。
 視界一面に夕照が広がった。暖かな色合いに反して、西日は熱を失い始めている。
 もうこんな時間か。淡泊なつぶやきが落ちた。
 感情を要さない思索に努める。ひとりきりの手持ち無沙汰。雑音がない世界は、少しだけおそろしい。
 日射はまだ十分に視野を確保しているようでいて、長時間の読書から醒めた意識と疲労した視神経に、続きを促すほどの力はない。かといって、灯火に頼るほどの暗さもない。
 ……途方に暮れる。本当に、することがない。子供たちのかまびすしい声も、救われた世界の、人々の、ルークのことなど素知らぬ躍動も、ここからはあまりに遠い。
 ひとりぼっちだ。
 ぼんやりと、膝元に目線を落とす。
 瞬間、夕焼けが血の色に変じた。窓辺から赤い津波が押し寄せ、ルークの現実を染め変える。
 薄赤くくすむ空。足下は、暗く不気味にうねる澱みの海。変化に乏しい、寂寥とした世界。どす暗い紫色の蒸気が立ち込める。太陽から閉ざされた寒さと、惑星(ほし)の底より立ち上る蒸した熱とが、でたらめに混ざり合う。
 視線の先で、子供が澱みに溺れている。高熱の流動に抵抗する力はない。生きているのも不思議な態だ。半ば閉じかけた瞼がひくひくと痙攣し、弛緩した下顎が発声に合わせて浅くうごめく。かあちゃん、たすけて、とうちゃん、たすけ――その先は永遠に途切れたまま。
 なすすべなく死に向かうひとつの命。けれどルークは動けないし、動かない。目と鼻の先で沈みゆく子供の姿を、みじろぎもまばたきもせず、ただ淡々と見つめ続ける。これがルークと子供との距離。永劫縮まることはない、厳格な過去。
 ワァ――……
 遙かより鼓膜を響かせた歓声が、閉塞していた聴覚をこじ開け、鼓膜の手前でうねるように膨れ上がった。視界の赤はあるべき夕焼け色にあっけなく塗り変わり、深淵に沈んでいた意識が速やかに現実へと浮上する。幾度となく繰り返してきた行程を経て、とあるレプリカの姿を模した第七音素の塊に、『ルーク』と呼ばれる自我が座る。
 思考をからっぽにしたまま、眼差しを上げ、音のしたほうへ首を向ける。ロフト……反対側の窓辺からだ。
 立ち上がり、感情のない足取りで室内を縦断する。近づくほどに浮ついた気配が伝わってくる。窓の向こう、膨張を始めた得体の知れない興奮が、気温とは異質な熱量をせっせとこしらえては惜しみなく発散している。まるで空気中の音素たちさえはしゃいでいるかのよう。
 少しだけ斜度のきつい階段を上る。徐々に、けれどあっという間に、景色が激変した。西日のまばゆさが五感を、意識を、解放していく……
 ワァァァ――ひときわの喝采。
 足下は円形闘技場。人と熱がひしめきあう。興奮と歓呼が谺する。司会者の調子づいた口上が耳に忙しい。舞台はまだ幕を上げたばかり。いやがうえにも昂まる群衆の期待に、音素が大きくうねり波打つ。
 この光景を知っている。こうして見下ろすだけではない、もっと生々しい感触が、生まれて間もないこの皮膚に蘇る。かつて己自身が、沸騰する感情の中心で人々に熱狂を提供した、その如実な手応え。蓋を失った『箱』の、比較的表層に、確かにそれはある。
 無意識に伸ばされた少年の手は、けれどガラスに阻まれ先にはゆけない。そこが限界であり、境界線であり、砦だった。
 望むべくして人造された騒擾を見下ろしたまま、ルークは記憶と現実のあわいに腰を下ろすようにして、観覧用の丸椅子に小さな体を預けた。

***

 闘技場はバチカルの芯であり軸である。その歴史はイスパニア国以来のものであり、新暦序盤に颯爽とこの譜業都市を奪取したキムラスカ・ランバルディア王朝の、連綿たる国史をも凌ぐとされる。一説には創世歴時代の建造物を移築、あるいは復元したものであるとも言われ、まさしく世界有数の「生きた」文化財である。……というようなことを入り口の観光ガイドが誇らしげに吹聴していた。
 少し前のレグルなら「要はただ古いってだけじゃねーか」の一言で終了していた話だが、実際に闘技場の熱気を肌に感じてしまえば、数千年前のオリジナルたちへの親近感で胸のあたりがむずがゆい。およそ二千年、人間の嗜好はさして変わっていないことを、この闘技場は証明している。そして、その縷々とした連なりの末席にレプリカである自分もまた確実に存在していることを、レグル自身の浮き立つ心が証明してしまっている。あまり面白くない事実であるはずなのに妙に面映ゆく感じられるのは、一体全体どうしたことか……
 ……ぐごごごご。
 切なげに、空気を読まない虫が鳴いた。
 エネルギーを焼べすぎた昂揚感にバケツをひっくり返したような盛大な冷や水を浴びせられ、レグルはぎしりと身を強ばらせた。口元を一直線に引き結び、そろそろと低空から掬うようにして隣を窺う。パッチリ見開かれた緑の瞳と目があって、今度は諦観という名の脱力に襲われた。
「……まああ。わたくしとしたことが、うっかりしていましたわ」
 けろりとうそぶかれ、レグルは本日何度目か、本気で頭を抱えたくなった。欲望に負けた自分の選択を棚に上げて、どうしてこの女が隣にいるのかと、存在しない理不尽に八つ当たりしたくなる。
 あからさまに目をそらしたレグルの態度も気に留めず、メリルとかいう女は口元に指をおいて小首を傾げた。
「会場に入る前に適当な軽食を調達しておくべきでしたわねぇ」
「……べっつに。腹なんかへってねーし」
 油断をすればまた泣き出すに違いない胃腸を精神力で脅迫しつつ、レグルはそっぽをむいたまま強がった。本当のところは屋台への未練に全思考力を持っていかれそうな程度に追いつめられてはいたが、出会って間もない人間に弱みを晒す趣味はない。食わねど高楊枝、こそ大正義である。
「あら、わたくしは空きましてよ。競技は長いのですもの。全力で楽しむためには、きちんと英気を養っておかなくては」
 レグルの意固地もなんのその、メリルはくすくすと楽しそうだ。反論をぶつけられたはずなのに、やんわりフォローされたような塩梅で、レグルは居心地悪く閉口した。大人の態度というやつだ。余計な一言を追加してレグルと同レベルに合わせてくるアゲイトよりも、ずっとたちが悪い。
 場内の売り子を捜して周囲を見回すメリルを、レグルは横目でこっそり盗み見る。……よくわからない女だ。が、悪意の類は感じない。世間知らずのどこぞのワケアリ貴族令嬢が、お忍びか何かで害にならなそうな子供をひっかけて、カムフラージュかなにかに利用しようという肚だろう。……ものすごく曖昧だが、あんまり深く考えるのも億劫だ。
 レグルは今度こそ諦観を吐息にして落とした。勘ぐるのもばかばかしくなってきた。
作品名:彗クロ 4 作家名:朝脱走犯