つかのまの永遠†コバルト短篇集
『紅葉鬼啖』
堪へず紅葉――――
ほとほとと戸を敲(たた)く音に、女は顔を上げた。
糸車を繰る手を休め、耳を澄ませる。
聞こえるのは囲炉裏で燃える薪がひび割れる音のみであった。
空耳であろう。
と、女はふたたび糸車を廻し始めた。
いくらも経たぬうち、女はふと手を止めた。またも戸を敲く音が聞こえた気がしたのだ。
女は訝しげに土間の隅を眺めた。
粗末な板戸は暗がりでひっそりと閉ざされたまま、動く気配はない。
気休めばかりの心張棒で戸締りしてあるが、薄い戸はその気になれば容易く蹴破られる。
しかしそのような危い気配はなく、女が侘び住まいする庵は、いつもどおり深山の寂寞に包まれていた。
ふ、と音もなく灯火が揺らいだ。
ざぁ、――――――――。
篠突く雨にも似た突風が、みすぼらしい屋根の上を吹き過ぎていった。
庵の傍らに立つ楓の大樹は、高く張り出した枝から風が吹くたびに色づいた紅葉葉を落とす。
それは時に、静かな足音を想わせることもあった。
女は首を振り、仕事に戻った。
哀しみの漂う口の端に、微かに苦い笑みめいた翳を浮かべて。
愚かなことよ。未だ諦めきれぬとは。
時を繰り戻すことなど、誰にも出来はせぬ。譬えそれが鬼であろうと神であろうと。
それが許されるものなら、この世のすべての過ちはとうに消し去られているはず。
色づいた紅葉が秋風に誘われて音もなく枝を離れるように、時はただ忍び足で知らぬ間に傍らを通り過ぎてゆくのだ。
ほとほと、と戸が揺れる。
女は振り向かなかった。
秋が訪うたのだ。
そう、女は想った。いつかのように秋は訪れ、そして無情に去ってゆく。
「もうし」
囁くような低声が、闇に立ち紛れるかの如く響いた。
女は凍りついたように動きを止め、暗がりの戸をじっと凝視した。
「誰ぞおられませぬか」
それは若い男の声だった。女は棒を呑んだようにかたくなな姿勢で戸を見つめている。
「もうし。山中に行き暮れて、一夜の宿を求めまする」
女はほっと息を洩らし、立ち上がって土間に降りた。
「……このような夜分に、何方様です」
応えがあったことに安堵したのか、男の声は急き込むように続いた。
「旅の者にござりまする。奥戸(おくのと)の御社を参拝するため都より下りましたが、山中で供の者とはぐれ、迷ってしまいました」
作品名:つかのまの永遠†コバルト短篇集 作家名:彩里美月



