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小山ユイタ
小山ユイタ
novelistID. 42945
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アルハンブラガルデ Ⅰ 深緑の少年

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◆ 1 ◆

ー少し、歩きすぎたか。
青年は乾いた幹のひとつに手をかけ、鬱蒼と茂る木々の隙間から陽の落ちかけた空を捉えた。
辺りの空気が冴え冴えとしてきている。足下の雑草もまるで夜が恐ろしい子どものように頭を垂れている。風はない。静かな夜がもうじき訪れる。

まだ視界が通る時刻だが、ランタンのオイルが昨日からどうも怪しい。
青年はもう少し奥まで進みたかったが、目当てのカモミレ草とヒカゲフタツバ草はよく採れた。群生地は概ね把握できた。新たに歩を進めるのは明朝にすることにしようと決めた。

青年、カゼン=シシグツは細く息を吐いた。歩き続けて火照った大きな体を冴える空気が途端に冷やしていく。背中から腋にかけてうっすら汗ばんでいたが、動いていないとすぐにそれも引いていく。

カゼンが生まれた時から家族のように傍らにいたこの樹海だが、歳月が経ち、身の危険だとか命の有限だとかを知って行くうちに、家族のように温かく自分を包むものではなく、息をじっと潜めて他の甘い魂を自らに吸い込もうとする恐ろしいものだと思うようになった。

この1年と少し、薬草の群生地の発見と、その採取・栽培を行いながら、慎重に裾野を拡げるように未踏の樹海を拓いてきた。拓くと言っても土地や樹木に手を加えるのではない。カゼンはただ薬草を求めてひとり樹海に足を踏みいれ続けている。真円の薄氷のような古めかしい眼鏡をかけ、ゴワゴワとした麻袋のようなローブを防寒に纏い、同じく薄汚れた袋に薬草を詰めて、3つばかり不格好に担いでいる。それだけだと一見して浮浪の大男のようだった。しかし不釣り合いにも広い肩には上等ななめし革の鞘で斜めがけした大きな槍も背負っていたのだが、彼の素性に気付く者はこの場所にはいなかった。

今日はいつにも増して不穏な気配が漂っていた。樹木は光を我がものだけにしようと両手を拡げて地上を覆い塞ぐ。時折けだものの呻くような声が聞こえ、虚になりがちな意識を刺激する。風はますます止み不気味なほど静まり返っている。

未開の地に入り込んで孤独と闇を恐れる心がそうさせるのか、未だ見ない不気味な化け物がすぐそこまで迫っているのか。神経がざわざわ沸き立つのを感じながら、カゼンは口元一つ変えず、じっと果てしない樹海の深淵を見据えた。目の前にいながら黒く見えない相手の心。また命のやり取りをしよう、そう静かに微笑みかけてくるようだった。

その時、つま先にくすぐるような違和感を感じる。じわりと音もなく足裏に冷たい感触が広がった。

カゼンは足下に目を落とす。  ー水だ。どこからか水がしみ込んでいる。

カゼンは眉をしかめて左下に視線を落とす。最近は雨らしい天気はなかったはずだ。(だから水を良く欲しがるバージ草の栽培に苦労しているのだが。)今まで歩いて来た地面も枯れ葉が押し潰れる音が聞こえるほど乾いていた。 ー不穏。おかしなことが起きている。

ゆっくりと頭をもたげて、カゼンは左肩に右手をそっと置いた。水は構わず彼の足を撫で回すようにじわりじわりと広がっていく。

ーこの先に水辺があるのか? それは願ってもない!

薬草を育てるには相応の水が要る。むろん、自身がこの閉ざされた土地で生き延びる為にも。しかし奴らもそれをよく知っている。樹海の獣どもだ。水辺があるなら、そこは獣の楽園だろう。足先に伸びるほど近くまで来てしまったのなら、野生に生きる奴らが自分に気付かないはずがない。

カゼンには自信があった。しかし、生きるための命のやり取りは極力避けたかった。腹が減っても、相手が自分を殺そうとしていても、だ。たとえ目がよく見え、腕がよく動いても、カゼンは向き直り樹海の奥に背を向け、歩き出そうとした。

その時、


"  ・・ シ・・・・     "


首すじに血が駆ける。何かが聞こえた。


"  ・・ シ・・・・    ァ・・・  シ・・・・   "


カゼンは今度こそはっきりと槍に手をかけた。唇を引き締め、さっきから水が広がってくる樹海の奥をもう一度振り返った。何者かの声が聞こえる。蒸気が漏れ出したような、男のかすれ声のようだ。カゼンは手足に力を込め、繰り返される言葉に神経を研ぎ澄ませた。




"  ・・ シ・・・・    ヤ・・・  シ・・・・   "


"  ・・ クシ・・・・    ヤ・・ク  シ・・・・  ヤ ク シ ・・・   "



「ーヤクシ・・・? 薬師? そう言っているのか。」


声は次第にはっきりと形を成した。カゼンはその声が自分に向けられているものだと確信した。

「俺を呼んでいるのか。それとも、祖父さんをか。」

声は呼び続ける。避けたはずの水がいつのまにかカゼンの足下を覆うように地面に満ち満ちと広がっている。陽は後少しというところまで落ちかけて、水の冷たさと共に、冴え渡る空気がカゼンを刺すように包み込んだ。

「祖父さんは死んだ。薬師と呼ばれる者はもういない。」

それでも声はカゼンに向けたれた。カゼンは危険な樹海の中で得体の知れない相手を恐怖するのと双璧に、内に秘めていた疑惑の種を燃やし、新たな事実を彼に突きつけるだろう灯火と遭遇したような高揚を感じていた。

条件としてはまたとなく最悪だ。しかし、行く以外にないと迷わず思った。