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凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》

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<09> 妻のため、夫のため



「私はほんとうは、夫に嫁ぐ予定ではありませんでした」

 早苗は驚き、眼を見張った。

「祝言の前日、嫁ぐはずだった人に死なれました」

 さらっと言ってのける姑に、恐る恐る聞いた。

「……どうされたのですか?」

「思い切り泣いたあと、しばらくは寝たり起きたりの生活。今思うと本当に未熟で弱かった……」

 初めて聞く姑の話だった。
そこからどうやって龍之助と夫婦になったのだろうか。

「……それで、お義父上さまとは?」

「亡くなった婚約者の四十九日が過ぎた頃、あの男、伊右衛門が是非にとわたしの実家に申し込んできました。それで父が否応なしに決めて、直ぐに祝言」

「……お辛くはなかったのですか?」

「祝言前日に婿に死なれた不吉な女など、誰も欲しがらない。諦めていました」

 しかし、美佳は笑って言った。

「夫は婚約者の友人で面識もあったし、わたしの弟も懐いていました。だから、苦痛ではありませんでしたよ。……それに、はっきり言って亡くなった方より男前でしたし」

 早苗は以前墓場で会った舅の顔を覚えていた。
確かに、男前であった。
 彼とよく似た助三郎を思い出した。
そして思い出すことが苦痛ではなくなっている自分に気付いていた。
 同時に、彼に会いたくてたまらなくなっていた。

「……でも、あの人は本当に酷かった」

 そう言いながらも、彼女は笑っていた。

「祝言の夜、あの人はわたしに手を出さないと宣言しました。わたしの心の傷が癒えるまで、自分が夫でもいいと思えるまで、決して手は出さないと」

「……ほんとうに、なにもされなかったのですか?」

「ええ。でももっと酷いことが待っていたの。あの人は次の日からわたしをまるでお姫様の扱い……」

 うんざりしたように言う彼女に、早苗はうっとりとした眼差しを向けた。

「大事にされてたんですね……」

 しかし、美佳はそれを否定した。

「ただの過保護です。わたしに指一本触れないどころか、家事、掃除、洗濯、縫物、すべて下女任せ。すべて禁止。手が荒れるだの、怪我をするだのいちいち理由をつけて…… なにもやらせてもらえなかった」

「なにもですか?」

「そうね…… 許されたのは朝夕のお見送りだけ。でも、刀は重いから危ないとか意味不明な理由で私には預けてくれませんでした」

 舅の行きすぎた過保護っぷりに早苗は呆れかえった。

「そうとうですね……」

「そうでしょう? 助三郎の過保護っぷりなんか可愛いものです。それに、あれはあなたと同じ部屋で寝ますし、ちゃんと名前も呼びますし」

「……お義父上さまは?」

「初夜からずっと別室で寝てました。話し方は常に敬語、名前は「殿」付き」

 徹底した舅の行動に、早苗はもう何も言えなかった。
しかし、彼の優しさは十分理解することができた。

 美佳は表情を和らげた。

「……でも、毎晩どこにも寄らず、まっすぐ家に帰ってきてくれました。わたしを楽しませようと、いろんな話をしてくれました。本当に、本当に、優しい人だった……」

 手にした簪を愛おしそうに撫でていた。

「お互いに指一本触れない生活が、三年続きました。子どもがなぜできないと、伊右衛門が口出ししてきました……」

 憎い男。恐ろしい男。
早苗も美佳も彼のおかげで辛酸を舐めた。
 忌々しげに、彼の話しを続けた。

「しかし、わたしの父が生きているうちはそこまで強く言っては来ませんでした。……態度ががらりと変わったのは、わたしの父が故無き罪で切腹してから」

 またもや驚く話が出てきて、早苗は息を飲んだ。
婚約者に死なれ、無理やり嫁がされ、夫に過保護に扱われ、さらには実家の父が切腹。
 波乱万丈な人生を歩んだ姑。
彼女がなぜ強いのか、初めてその理由を知ることとなった。

「母は父と運命を共にしました。弟だけが残ってしまった……」

 早苗は姑の弟、助三郎の叔父に当たる男とは親戚の行事や職場で幾度か有っている。
温和な男だった。
 彼もそんな壮絶な過去を背負っていたと驚いた瞬間だった。

「わたしと弟は罪人の身内。迷惑でしかない。わたしは、夫に離縁をお願いしました。
……でも、あの人は離縁してくれなかった。
代わりにあの人はわたしを守り、弟を助け、父の無実を証明し仇討をすると誓いました。
とんでもなく無謀な事…… その言葉を聞いた次の日、家を出ました」

「なぜ?」

「その日の夜、伊右衛門がわたしと弟を排除しようと刺客を差し向けました。わたしと弟を守るため、夫は手傷を負って……」

 美佳の声が潤んだ。

「その時も、あの人はわたしに傷の手当てを許さなかった…… 夫に何も返せない。迷惑しか掛けない。わたしは尼寺に逃げました。伊右衛門は満足したようで、そこまでは追って来ませんでした」

「でも、お義父上さまが連れ戻しに来たのでは?」

 離縁を許さなかった龍之助。
間違いなく連れ戻しに来る。そう思ったが、その考えは少し違った。

「いいえ。来ませんでした。結局半年そこで過ごしました。そして、本気で髪を下ろそうと思った日、弟が来ました。仇討が終わったと報告に来たのです」

「御爺さまは無罪だったのですか?」

「同僚に嵌められたそうです。弟は事こまかに仇討に至るまでを報告してくれました。そして、それはすべて夫のおかげだと、夫をその場に引っ張ってきました」

 感動の再会。
早苗は期待した。
 しかし。蛙の子は蛙。助三郎と似たような展開が待っていた。

「俯くだけで、何も言わなかったの。弟が何度か突っつきましたが、何も言わず仕舞い。仕方がないから、わたしから言いました。『髪を下ろします。不出来な嫁で申し訳ありませんでした。今までありがとうございました』と」

「そうしたら?」

「顔を上げました。泣きながら、初めてわたしの手を握りました。『戻って来てくれ。美佳無しの人生なんて、耐えられない』と」

 幸せそうに美佳は続けた。

「その時やっとわかりました。あの人がわたしをどれだけ大切に思ってくれていたか。わたしもやっと気付きました。わたしは龍之助さまを愛していたと」

 美佳と龍之助。
 自分たち以上に苦労した夫婦の話に早苗は涙した。
 しかし、それは序の口だった。

「その日やっと本当の夫婦になれました。すぐに助三郎が産まれ、千鶴が産まれ……幸せでした……あの日までは……」

 早苗は涙を拭った。
これから来るのは夫婦の別れの話。

「あの日、理由は忘れましたが、わたしは朝から夫に怒りました。夫も虫の居所が悪かったのか、いつも怒らないのに怒鳴り返してきて……」

 美佳の顔から笑顔は無くなっていた。
今でも思い出すのが、話すのが辛いに違いない。

「ずっと後悔していました。最後に『大っ嫌い』と言ってしまったことを……」

 早苗は記憶をたどった。
最後に夫に言った言葉は何だっただろう。
 何も出てこなかった。
 恐ろしく長い間、まともな会話をしていない証拠。

 このまま二度と会えなかったら……
 早苗の背筋が凍った。