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凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》

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<07> 強すぎる想い



「……苗さま! 大丈夫ですか!? 早苗さま!」

 名を呼ぶ声で、早苗は悪夢から解放された。

「……お夏ちゃん?」

 彼女は安心させるように、微笑んだ。

「悪い夢でも見られましたか?」

 悪夢は、自分の嫉妬心が生み出した幻想。
 心の中に巣食う黒い物に怖さを感じた。
 
 そんな彼女の気持ちに気付いたのか、

「不安なら、ご一緒に寝ますが」

 お夏がそう言うと早苗は頭を下げた。

「お願い……」





 お夏はいつもの習慣で日が上る前に目覚めた。
それに早く部屋から出ないといけない。
 早苗はこの集落では『格之進』で通っている。
 もしも一緒に寝たとされてしまえば、噂が流れてしまうかもしれない。

 しかし、彼女は起き上がることはできなかった。
いつしか格之進に変わっていた早苗に、抱きしめられていた。

 お夏はそっと抜け出そうとしたが、主の寝言で動きを止めた。

「助三郎……」
 
 久々に優しくその名を呼ぶ彼女。
今度はいい夢を見ているのだろう。
 良い夢ならばそのまま……
 しかし、考えをすぐに改めた。

 夢の中は良い。
しかし、起きれば辛い現実に引き戻される。彼女は再び暗い顔になる。

 どちらにしろ、夢は覚めるもの。
それならば早い方がいい。
 お夏は主を起こした。

 目覚めた早苗はすぐさまお夏を離し、頭を畳に擦り付けて謝った。

「ごめん! ほんとにごめん」

「わたしはなにも…… 面を上げてください。お願いします」

 お夏は主をなだめると、騒がれる前に部屋から静かに抜け出した。

 ひとりになった早苗は盛大に溜息をついた。
それは夢のせいだった。

 夢の中に出てきたのは優しい助三郎。
 しかし、辛いだけだった。

『相手が自分を想ってくれているから夢に出てくる』
と都合のいいことを言う者もいるが、早苗は信じていなかった。
 
 自分が想っているからこそ、相手が夢に現れる。

「やっぱり水戸に帰らないと……」

 彼女をこの集落に留めておく理由。
 それは怪我をした足。
 それももうじきに治ってしまう。
 山道も長い距離も楽々歩けるようになる。
 
 しかし、一歩が踏み出せないのだった。
  
 彼女はまたも逃げた。

「……いいや、もうちょっとだけここにいよう」

 そしてその日も変わらない生活を始めた。





 その夜、早苗はいつも通りお夏と夕餉を共にしていた。
しかし、珍しく酒があった。

「飲んでいいの?」

 一人であまり飲むことは無かった。
しかし、目の前にあるのは香りの高い美味しそうな酒。
 幾分気分も滅入っていたので、無性に飲みたくなっていた。

「はい。寝酒にも良いのではと」
 
 お夏に注いでもらい、早苗は一杯目を干した。
再びなみなみと注いでもらうと、冗談交じりに言った。

「美味い。でもさ、俺ざるだから酔えるかな」

 酒瓶をちらっと見た瞬間、お夏はそれを背後に隠した。

「一番強いお酒選んでもらいました。全部飲み干す前に酔えるはずです」

「そうかな…… でも、一人じゃなぁ…… 一緒に飲もう」

「いえ、わたしは……」

 遠慮するお夏の手をつかみぐっと引き寄せ、耳元で囁いた。

「……いいじゃないか。俺とお前、二人っきりでサシで飲もう」

 お夏はすぐ眉をひそめて忠告した。

「早苗さま。まるで殿方のようなお振舞は……」

 早苗はお夏の手を離した。

「ごめん。やり過ぎた。朝の事もちゃんと埋め合わせできてないのに……」

 しゅんと萎れた。

「あれはもうお構いなくと言ってるではないですか」

 酒を再び杯に注ぎ始めた。

「……だって、俺とお夏が寝たなんて変な噂流されたら、お夏の良い人に怒られるだろ」

 お夏が眼を見張ったことに早苗は気付かず話し続けた。

「そういえば、ここ何日か逢引き行ってないじゃないか。遠慮しなくて行けばいいのに」

 お夏は何も言わなかった。

「……お夏? どうした? ……あ! ちょっと! 酒!」

 心ここに有らずの様子のお夏は、酒をこぼした。

「……え? あ! 申しわけございません! お着物が!」

 はっと我に返った彼女は必死にこぼれた酒を拭きとった。
その様子を早苗はじっと見ていた。

「お夏……」

「……なんでしょう?」

「……もういい。寝間着に着換えるから。酔ったし、もう寝る」

 早苗はそれ以上お夏に聞きはしなかった。
しかし、なにかが引っ掛かる。
 こっそり調べた。

 数日後、早苗はお夏が付き合っている男の家に居た。
彼は庄屋の長男だった。
 彼にいろいろ話を聞くうちに、何が起こったのか明らかになった。

「では、振った振られたってわけではないんですか……」

「厳密に言うとそうでございます。先日、嫁に来てもらいたいと言ったとたん逃げられてしまいました」

「お夏とはそれきり?」

「はい…… せめて、私が嫌なら嫌と言ってほしいのですが」

 落ち込んでいる彼を慰めるように早苗は言った。

「私の見る限り、貴方が嫌ではないらしい。他に原因があるかもしれません」

「……もしや、お母さんでしょうか?」

「それもそうかもしれません。母一人子一人ですし。しかし、それ以外にも……」

「では、他に何が……」

 二人は頭を捻った。
しばらくすると、早苗が声を上げた。

「あ」

 何が原因か分かったのだ。
しかし、それは目の前の男に言っても仕方がない理由。

「……なにか分かりましたか?」

 彼は全くの無実。

「……はい。少々お待ちください。お夏を説得できる気がします」

 お夏が結婚の申し出から逃げた理由。
それは間違いなく、自分のせいだった。




 その夜、早苗はお夏と向き合った。
珍しく本来の女の姿のままの主にお夏も気付いた。

「今夜はそのまま御就寝ですか?」

「ううん。お夏ちゃんに話があるからこのままなの」

「……なんでしょう?」

「今日ね、会って来たの。お夏ちゃんのお相手の方に」
 
 お夏は俯いた。

「心配してたわ。嫌われたんじゃないか、悪い事したのかもしれないって」

「それは無いです!」

 そう発した直後、お夏は唇を噛み締め、膝の上の手をぎゅっと握って再び俯いた。
 
「……お夏ちゃん、わたしに遠慮してるんでしょう?」

 お夏はその瞬間、涙をこぼした。

「当たり前です。こんなに苦しんでいらっしゃる早苗さまをさしおいて…… 無理です」

「ごめんね、心配かけさせちゃって」

 早苗はお夏の手を優しく包み込んだ。
しかし、お夏は泣くばかり。

「まったく、お力になれず、申し訳が……」

「お夏ちゃんは何も悪くない。わたしがいけないの。みんなに迷惑かけてる」

「そんなことはありません…… ですから、お願いですから、おやめ下さい……」

 お夏は早苗から直々に計画を聞かされ、ここまで付いて来た。
しかし、どこか納得が行かなかった。
 そしてとうとう言ってしまった。

「明日にでも江戸に引き返し、もう一度旦那さまを信じて待ってみませんか?」

「それはもう無理なの……」

 早苗は溜息交じりに返した。