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凌霄花 《第二章 松帆の浦…》

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〈08〉『……助三郎?』



 早苗は部屋から一目散に逃げた。
自室に駆け込み、障子を閉めるなり畳にへなへなと座り込んだ。

『あの女子は我が妻に非ず』
『早々に離縁』

 この文句が彼女の頭を駆け巡った。
 自分は近い将来、夫に捨てられるのか。
はたまた、元から結婚は嘘だったのか……
 
 しかし、しばらくすると彼女の中に一つのある考えが浮かんだ。

「調べたら解る……」

 覚悟を決めるその時が来るのを早苗は感じていた。


 その日の夕方、早苗は気晴らしに料理をした。
助三郎の好きな煮物を作った。彼に食べてもらいたい。その一心で。
 書斎に籠っている居る筈の夫を訪ね、彼女は声を掛けた。
 一緒に食事をしたいという、小さな希望を持って。

「助三郎さま、夕餉できたんだけど……」


 しかし、部屋の中から返事は無い。

「……助三郎さま?」

 やはり返事は無し。そこで、早苗は思い切って部屋の襖を開けた。
その部屋の中には、誰もいなかった。

「居ない……」

 同じ家に住んでいる筈なのに夫に会えない。
顔を見られない。声を聞けない。
 早苗は深く溜息をついた。


「逢いたい…… 助三郎さま……」

 こんな弱気を、彼女はほとんど言ったことがなかった。
 なぜなら、彼はいつも傍に居たから。
早苗は眼を瞑った。
 これしか彼に逢う方法は無かった。

 まぶたに浮かぶのは、笑顔の助三郎だった。

『早苗、なに湿気た顔してる?』

 早苗の耳に聞こえるのは、からかうように笑う優しい声だった。

「助三郎さま……」

 諦めた早苗は、その日もお夏と二人で夕餉をとった。




 しかし、くよくよしてばかりも居られなかった。
仕事がある。これで彼女は寂しさと漠然とした恐怖とを忘れようとした。
 その日も黙々と大日本史の編纂の仕事をこなしていた。
そんな折、同僚の一人が彼女に声を掛けた。

「渥美、二年前の藩士名簿って何処に置いた?」

「その三つの山の右端の上から二番目です」

 書類の整頓を行ったのは早苗。
皆が適当に置きすぎて、酷い山になっているのに我慢が出来なくなった。
 そして使いやすいように種類別、年代別に分けたのだった。

「お、あったあった。ありがとな。几帳面なのがいるとほんと助かる」

 彼は満足げに早苗の肩をポンポンと叩き、自分の机と戻って行った。
 
 早苗はその時、ふと気がついた。
 藩士の名簿がある。 
 それと同様に、婚姻関係の事が記された書類があるに違いない。
 そのような人事の書類を管理する仕事をしているのが彼女の父、又兵衛。 
彼に聞けばすぐにすべてが解る。
 しかし、父に確認するのは気が引けた。
 そこで、彼女は自分で調べることにした。

 思い立ったが吉日と、昼過ぎに早苗は上司の部屋を訪ねた。

「お聞きしたい事が有るのですが、よろしいでしょうか?」

「なんだ? 要件を言ってみろ」

 彼は忙しいらしく、仕事をする手を止めはしなかった。
早苗は簡潔明瞭に言った。

「藩士の姻戚関係の書類は、書庫に保管して有りますか?」

 上司は筆を置き、早苗の顔を見た。

「有るはずだ。が、それでなにを調べたい?」

「妻の名前がまだちゃんと残っているか、確認をしようと思いまして」

 格之進の配偶者は『美帆』
彼女は行方不明。格之進は新たに嫁取りせず、彼女をずっと探し続けている……
 誰が言ったか知らないが、そんな噂が横行していた。
 どうやらそれはこの江戸の職場にも入って来ていたようだ。
 上司は溜め息をつきながらも、少し悲しげな眼で早苗を見た。

「お前は、本当に一途なんだな……」

 
 早苗にその言葉がつき刺さった。
その言葉の通り、彼女は幼い時からずっと助三郎一筋だった。
 何が有ろうと、彼を想う気持に揺るぎはなかった。

 返す言葉が見つからず、うつむくしかなかった彼女に上司は穏やかに言った。

「お前には余計なお節介かもしれん。だがな、待っても帰ってこない嫁さんを待つより、諦めて早く新しい嫁さん見つけたほうがいい」

 その言葉が更に早苗を苦しめた。
 それはあたかも『助三郎を諦め離縁し、新たに嫁ぎ直せ』と言っているかのようだった。

 その日、早苗は覚悟が決まらず、書庫に向かえなかった。


 代わりに気分転換にと由紀の家に遊びに行った。
お孝も丁度来ていて、ワイワイ三人で話して気分も幾分晴れた。
 しかし……

「そうなんですよ。何に遠慮してるか解らないんですけど、今まで一度も誘ってくれたことないんです!」

 お孝の新助に対する不満だった。

「新助さんって、誰かさんみたいに奥手じゃないでしょ? ね? 早苗」

 その『誰かさん』は、早苗を閨に誘うどころか姿さえ見せない。

「へ? あ、うん、そうね……」

 曖昧な返事しか返せなかった。

「待ってないでお孝ちゃんが押し倒せばいいのよ。家がダメなら昼間でもいいから茶店でね」


 相変わらずの過激な由紀の発言に、早苗は眼を見張った。
それに答えるお孝にも早苗は驚きを隠せなかった。


「はい。ですから連れ込んで押し倒したんです。でもそれって、雰囲気なんか全く出ないでしょう?」

 不満げに言うお孝に由紀は納得顔。

「それもそうね…… 雰囲気は大事だわ」

 早苗は、もうずいぶん前になってしまった夫との夜に思いを馳せた。
その時の彼は優しく、温かかった。
 数日前まで、いつか元の助三郎に戻り自分の所に帰って来ると彼女は信じていた。
しかし、あの文を見た日から変わった。
 不安と恐怖にさいなまれる日々になってしまった。

「早苗も頑張るのよ。分かった?」

 とうとうこの日も、早苗は親友二人に相談できなかった。
乾いた笑みを浮かべただけだった。
 耐えきれず、早苗はその場を抜けることにした。

「……じゃ、そろそろ帰るね」





「はぁ……」


 玄関で男に変わり、刀を腰に差した。
男の姿に変わっても、鬱々が晴れることは無い。
 思わず漏らした溜息を、丁度帰宅した由紀の夫に聞かれてしまった。

 
「お疲れですか? 格さん」

「あ、お疲れ様です。与兵衛さん。今お帰りですか?」

「はい。最近忙しくて」

「それは大変ですね。では、私はこれで失礼……」

 玄関を出ようとした途端、早苗の腕は与兵衛に掴まれていた。

「……格さん、悩み事が有れば言ってください。力になれるかもしれません」

 早苗は、親友の由紀でさえ気付かなかった己の悩みに気付いた彼の洞察力に驚いた。
しかし、何も言えなかった。

「……原因は、助さんですね?」

 核心を突く彼の言葉に、早苗は更に驚いた。
しかし、それ以上なにも無かった。幸か不幸か邪魔が入ったのだ。


「あ、与兵衛さまお帰りなさいませ。すぐ来て! 早く来て! あ、早苗またね!」

 奥から出てきた由紀が、夫を急かし引っ張って行ってしまった。

「由紀、私はまだ格さんに用事があるんだ。そんなに急がなくったって……」

 仲が良い友人夫婦を羨ましげに眺め、早苗は一人寂しく、役宅へと戻って行った。





 次の日、早苗は藩主から呼び出された。