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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅲ

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柳内官は確かに得難い友だと自他共に認めているし、誰より信頼のおける忠臣だと思っているが、色事の相手にはご免蒙りたい。
 過度の女嫌いといわれたこともあったが、そんな噂も張緑花を寵愛するようになってからは、自然と消えた。もっとも、毎夜のように逢瀬を重ねているにも拘わらず、いまだに光宗が緑花を抱いていないことが知れたら、また、ひと騒動は起こるだろう。
 やはり、国王はどこかおかしいのだと、腹を抱えて笑われるか、本気で心配されるかのどちらかだろう。
 それはともかく。
 光宗の思惑は別として、誠恵は、ひと月ほど前に趙尚宮から貞祐翁主の嫁入り支度の一つとして、壁掛けを作るように命じられた。後宮には繍房(スボウ)といって、宮中専門のお針子がいるにはいるが、趙尚宮が誠恵の刺繍の腕が繍房の女官にも勝ると知り、是非にと依頼したのである。
 女官の仕事は忙しいが、誠恵は快く引き受けた。おめでたいことだし、断る理由がない。
 夜は光宗と過ごすので、必然的に昼の空いている時間を利用して、少しずつ作業を進めた。その甲斐あって、昨夜、ついに完成したのだ。今朝、完成した壁掛けを趙尚宮に見せたところ、大歓びだった。
―この仕上がりならば、翁主さまもさぞご満足あそばされよう。
 と賞めてくれたが、念のために永宗の中殿であり、貞祐翁主の嫡母でもある大妃さまにお見せするようにと言われたのだ。
 自分は心から慕う男と添い遂げることはできないが、せめて、これから嫁ぐ幼い翁主さまは、ご夫君とお二人で幸せなご家庭を築いて欲しい―、そう願いながら、ひと針ひと針、心を込めて刺繍した。
 大妃殿で孫大妃に拝謁し、やはりまたお誉めの言葉を賜った誠恵は、その帰り道、一人の少年を見かけた。
 殿舎と殿舎の間に、広場のようなものがある。そこで、所在なげに石礫を拾っては投げる子どもを見かけたのだ。
 あれは―。
 誠恵は小首を傾げた。まだ幼いながら、国王に準じた龍袍を身に纏うのを許されるのは、天地広しといえども世子一人のみだ。その世子といえば、現在は光宗の甥にして先王永宗の第七王子誠徳君である。
 誠恵は少し離れた物陰に身を潜め、世子を見つめていた。あの男―月華楼で水揚げをするはずだった晩、ふいに眼の前に現れ、光宗を殺せと命じた卑劣な男孫尚善の孫になる。
 幼子に罪はないのは承知していても、あの男の血を引く孫かと考えただけで、複雑な心境になることは否めない。もし、孫尚善に逢うことがなければ、自分が愛する男を殺さねばならない―そんな運命の皮肉を知ることもなかった。
 元々、国王である光宗と男娼となる宿命(さだめ)だった我が身が出逢うはずはなかったのだ。二人の宿命が交わったのは、孫尚善のせいだ。
―でも、本当にそう言えるのだろうか。
 自分の心に問いかけてみる。
 あのひとに、国王殿下にお逢いできなかった自分の宿命なんて、考えられるだろうか。
 あのときは危なかった。よもや薬房にいるところを柳内官に見つかるとは予想していなかった。あまつさえ、その夜、国王自身からも薬房にいたときのことについて訊ねられた。何とか上手く言い逃れたものの、あの若い内官が自分を疑っていることは言うまでもない。要らない敵を作ってしまい、これからは〝任務〟がやりにくくなる。
 何といっても、いちばん良かったのは、光宗が毒薬を飲まなかったことだった。自分で毒を潜ませておいて、毒を飲まなくて良かったと言うのは、あまりにも矛盾しているし身勝手だろう。でも、本当にそうとしか言いようがない。
―私はもう殿下のお側ににはいられませぬ。
 そう言って光宗の前で流した涙は満更、全くの偽りではなかった。光宗が毒を食(は)まずにいて良かったと、安堵のあまりの涙でもあったのだ。
 誠恵が薬房を出た後、柳内官があの毒薬を混ぜた薬をそのまま調べもせず王に献じるとは思えなかった。恐らく、疑念を抱いた柳内官が毒味をするだろうとは予想していた。―あの計画は、柳内官という想定外の人物に出くわした時点で既に破綻していたのだ。
 だが、光宗の無事な姿を見るまでは、内心、気が気でなかったのも確かだった。万が一ということもあり得る。あの抜け目のない用心深い柳内官に限り、王に献じる薬を煎じている最中、不審人物を見かけて手をこまねいていることはないだろう。そう思ってはいても、安心はできなかった。
 愚かなことだ。一体、王を殺すつもりがあるのか、いや、殺せるのか。こんな不安定で宙ぶらりんな心のまま、〝任務〟が果たせるはずがない。万が一、任務に失敗すれば、自分の生命はないだろう。それは構いはしないが、月華楼の女将香月は孫尚善の言葉を改めてはっきりと伝えてきた。
―任務に失敗したときは、家族の生命は亡きものと思え。
 どこまで冷酷な男なのだろう。今や、誠恵の生命だけでなく、家族の生命まで、あの男の手のひらにある。任務を引き受けなくとも、家族を殺すと脅されたし、たとえ引き受けたとしても、失敗したら、殺すと言う。
 まるで他人の生命を虫けら同然にしか思ってはおらぬ最低の男だ。
 光宗を心から愛してはいるが、家族の安全を思えば、殺さないわけにはゆかない。誠恵にとっては、やはり最優先するべきなのは、家族なのだから―。
 そう割り切ろうとしても、光宗の優しい笑顔を思い出す度に、胸は切なく痛む。愛する男と家族への情の狭間で誠恵の心は大きく揺れていた。
 想いに耽っていた誠恵はハッと我に返った。前方で誠徳君が転んで、泣いている。
 自分の立場も顧みず、誠恵は駆け出した。
「世子(セイジヤ)邸(チヨ)下(ハ)」
 誠恵は誠徳君に駆け寄ると、しゃがみ込み、その顔を覗き込む。
「大事ございませぬか?」
 可哀想に、幼い王子は膝をすりむいたらしい。
「失礼致します。少しだけ、お怪我の具合を見させて下さいませね」
 優しく言い聞かせ、誠徳君のズボンを捲った誠恵は息を呑んだ。
「―!」
 怪我に愕いたのではない。左の膝小僧から薄く血が滲んでいたものの、怪我そのものはたいしたことはない。ひどく泣いているのは、幼い子どもにとっては、やはり衝撃を受けたからだろう。
 誠恵が驚愕したのは、誠徳君の脹ら脛に鞭で打たれた跡が惨たらしく紫色となって残っているからだった。
 世子である先王の第七王子を鞭で打てるのは一人しかいない。世子の生母、孫大妃だけだ。
 この傷痕は一度や二度ではなさそうだ。転んでできた擦り傷よりも、こちらの方がよほど重傷に見える。
「世子邸下、お歩きになれますか?」
 だが、一介の女官の身で、大妃の所業について触れることはできない。酷い傷痕には知らぬふりをするしかなかった。
 七歳の王子は、ただ泣きじゃくるばかりだ。
 誠恵は仕方なく、しゃがみ込んだまま背を向けた。
「さあ、お乗り下さいませ。私が世子邸下を大妃殿までお送り致します」
 と、王子がふっと泣き止んだ。
「そなたは見たところ、か弱い女人ではないか。男たる者、女に負ぶわれるわけにはゆかぬ」
 口だけは大人顔負けなのに、内心吹き出しそうになってしまい、慌てて笑いを堪えるのに苦労しなければならなかった。