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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第一章 『首吊り御伽草子』

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男の子が寝ていた。
 コンクリートで固められた学校の屋上で、大の字に手足を広げ全身で空を仰いでいる。
 小さく寝息を立てながら、その顔はまったくの無表情。
 夢の内容をいくらか表情に出してもおかしくはない年頃のはずだが、その寝顔は瞑想にふける隠者めいていた。
「──っ」
 頬を撫でる風が、眠っている男の子の意識に触れ、うめくような声が漏れる。それと同時に少年の鼻の中を潮風が吹き抜け、その後を追うように太陽の匂いが入ってくる。土砂降りだった昨晩から打って変わり、今日は一日天気がよかった。だから海から風にのった潮は学校の屋上まで昇り、蒸発した雨は太陽の香りを残して空へと還って往く。そんな心地のよいもので満たされたセカイの中心で、男の子はゆっくりと目蓋を開けた。
 その瞳に天上の空を映す。北と東と南の空は醒めるような青を残し、片隅の西はほんのり茜で染まっていた。
 時刻は午後四時三三分。
 H(ホーム)R(ルーム)を終えたのが三時過ぎで、屋上に登ったのが二〇分だったから、その夕寝にも似た昼寝はおよそ一時間程度のものだった。それでもこの季節は夕方からどっと冷え込み出す。あまり長居をしてはそれこそ風邪を引きかねない。しかし低血圧な少年はなかなか起き上がることができず、しばらく呆然と茜が拡がりをます空を眺めていた。
「……よっこいせっと」
 やっと起床する決意がついたのか、どこかシニカルな動作で立ち上がる。ぐらぐらと不安定な頭を軸に、地面を踏みしめるはずの足は誰がみても頼りない。どうやら身体の下にたまった血が、うまく全身に行き渡らないようだ。
 右手で顔を覆い、眼を瞑りながら立ち眩みの弊(へい)害(がい)を最小限に留める。
 一分ほどで落ち着きを取り戻した少年は、首の骨を小気味よく鳴らすと、確認するように辺りを見わたした。自身の周囲には誰もおらず、屋上は太陽電池(ソーラーパネル)ばかりが幅を利かせている。
 格子のフェンス越しに映るのは大きさが順不同な高層ビル群。さらにその向こうには貨物船が行き交う東京湾。臨海には、数基の風力発電機が海からの風を受けてゆっくりと円周運動を繰り返していた。外から訪れた者ならば夕陽も相まって思わず息を呑む情景だろう。
しかしそれらはどれもこの人工島──〝ターミナス・ファウンデーション〟ではあり触れた日常風景の一部でしかなかった。この街で生まれ育った少年は、無味乾燥、とでも言いたげな面持ちでそれらを視界の端へ追いやって往く。
 どうやら視界を隠していた靄は晴れたらしい。
少年は隣に投げてあった鞄とスケルトン素材の雨ガッパを拾うと、校内へ続く扉を抜けた。
階段をいくつか下り、校舎と校舎をつなぐ渡り廊下を通り過ぎて、生徒昇降口に面した長い廊下までたどり着く。
ここで少し違和感がある。それはここまでかなりの距離を歩いたにもかかわらず、ただの一人ともすれ違わないのだ。だから底の柔らかい上履きでも少年の足音は廊下全体で反響して、コツンコツンと甲高い音を踏み鳴らしている。
下校時間にはまだ少し余裕があるし、またいつもならクラブ活動やダベって時間をつぶす児童をちらほら散見できてもおかしくない校舎は、不気味なほどに静まり返っている。
 少年はその理由を知っていた。考えるまでもなく、これはあの事件の影響だった。
 それに振り回されるのが厭だったから、自身は屋上へ逃げたのだから──。
 がちゃ。
 唐突に、少年から五メートル先にある部屋のドアが口を開ける。
「……あなたは」
 部屋から現れた人物と視線をぶつける。
 ウェーブのかかった長く柔らかそうな髪に、落着きを感じさせるロングスカートのスーツ。その姿は深層の佳人を連想させる大人の女性だった。
 女性は一瞬だけ眼を見開いて驚くも、すぐに半眼に眇める。それから数メートル先で立ち尽くす少年にどこか試すような視線を送ってくる。
「あれぇ? おかしいですねえ、確か初等部の生徒はとっくに集団下校しているはずなのに。ねぇ──〝六年B(ブラボー)組・麦(むぎ)村(むら)ハッカ〟くん?」
 彼女はわざとらしく声に抑揚をつけ、男の子の首からぶら下がったIDパスの文字をゆっくりと、かつ強調しながら読み上げた。それから証明写真に映った灰色の髪の少年と、目の前の少年とを値踏みするように見比べる。
「いや、それは、その……今日一日ウンコをガマンしていて……放課後だったら、みんなもいなくなるから……それで」
 麦村ハッカ、と呼ばれた少年は照れと気恥かしさを顔に浮かべながら、平然とその場まかせのデマを並べる。
「ふぅ~んそうですか、ではつまりあなたはH(ホーム)R(ルーム)が終わって今に至るまで、およそ一時間以上もトイレで過ごしていたわけですか。それはさぞ水っぽいモノだったのでしょうね?」
 ハッカの嘘を看破しているのか、女性はどこか三味線を弾く調子で嘯(うそぶ)く。
「け・ど。教育者として、子供の言い分を無下にするほど、私だってやぶさかではありません」先程までの揚げ足を取るような言葉とは一転。「どれどれ、脱水症状を起こしてからでは遅いでしょう。私の執務室でお茶でも飲んでから帰りなさい」
などと親しげな態度に切り替えたと思うと、そのまま無抵抗のハッカの腕を取り、自身が出てきた部屋へと連れ込んでいった。

        † † †

「……嗚呼(ああ)」
 窓から射す夕陽を眺めながら、わたるは暗(あん)澹(たん)たる思いを隠せずにいた。
 ズボンのポケットに入れた手には緊張の汗で湿った紙切れが一枚。気持ちを落ち着けるために、自分を取り巻く状況の整理にポケットの紙を取り出し広げる。

『放課後の理科室であなたを待っています。
 ──香山リカ』

 もう何度繰り返したか思い出せないほど読んだ短い文章。けれど、わたるのこの不安で色めき立つ心を納得させることはできなかった。
「リカ」
 それはすでに終わった関係の女だった。
「今になって、なんで……」
 こんな手紙を下駄箱に入れていったのだろうと、心の裡で噛み締める。
 そして自分から呼び出しておいて、なぜ理科室の鍵が開いてなかったのかとも思い出す。おかげで理科担当の教師の机からくすねるという危険を冒すはめにあってしまった。
 さらにそこから三〇分。わたるは独り呆然と特別教室で待ち続けている。
 正直、この手紙は女の子うちで行われた罰ゲームで、向かいの校舎には望遠鏡をもった女子が独り暮れなずむ自分を眺めながらほくそ笑んでいる、という疑念が頭から離れない。
 その手のイジメには何度か憶えがあった。が、それでも期待せずにはいられない自分がいるのにも気づいていた。
 それだけ香山リカという女には魔性というものが備わっていたのだ。
 すると突然、ガラっという引き戸をスライドさせる音。
 わたるは脊髄反射に近いそれで音の方へと視線を走らせた。
「……リカ」
 そこに立っていたのは五年生の名札をつけた一人の少女。
 栗色の髪は真っすぐに腰まで伸び、その唇と頬はほんのり桜色に染まっていた。
「わたるくん! 何も言わずにわたしを抱いて!」
 開口と同時に走り出した少女は、そのまま勢いを弱めることなくわたるの胸へ飛び込んだ。
「ぶぐっ!?」