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春分についてチラシの裏

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誰もいない&誰も自分の発言を追いかけてまで読まないだろう判断しとチラシの裏を開始します。
彼岸、あるいは春分について。春分だから。
春分とは二十四節気のうちの一つ。定気法において太陽が春分点、すなわち太陽黄経0の地点を通る瞬間。春分の日とは春分の起こる日、すごく簡単に言うと、太陽が真東から昇って真西に沈む日。祝日法においては、自然を讃え生命を慈しむ日。
日本ではこの春分の日をわざわざ天文学で割り出して国民の祝日としています。秋分の日も同様。これは国際的に見ても稀だとウィキペディア先生が仰っていました。なお、キリスト教圏における春分とは概ね3月21日に固定されているため、太陽黄経が0の日、つまり日本人が当たり前に考えるお日様が真東から昇って真西に沈む日とは必ずしも一致しない。
何故祝日であるのか。もともと春分・秋分の日とは春季皇霊祭・秋季皇霊祭として祝日でした。WW2前くらいまで。皇霊祭とは、歴代天皇や皇族の忌日を春と秋に分けて纏めて奉祀したもの。民間ではこの日に最も近い戊の日を社日として産土神に、春に五穀豊穣の祈願と秋に収穫への感謝をしていました。
多分今日も日本神道の最高司祭であるところの今上天皇がこれらを纏めてお祈りしてくれている。脱線するが、こういった天皇の最高司祭としての祭祀は現在宮中祭祀と呼ばれ、「天皇が私的に執り行う儀式」として解釈されてそんなに報道されない。誰にも知られなくても最高司祭は田んぼのお米がたくさん実るように、漁師さんの成果が豊漁であるようにお祈りしてるんだと聞いたらちょっときゅんとしないか。
ここまでだとなんだか神道のお祭りのようですが、お彼岸というものがあります。春分の日の前後7日間は彼岸会とされ、この期間になんかいろいろ仏事をするらしい。とりあえず春分の日当日には春季彼岸会というお墓参りをする。つまり彼岸とは今さらですが仏教用語です。
彼の岸たるその場所は悟りの世界で此岸の煩悩や懊悩から解き放たれた世界。既に彼岸へと至った人、即ちご先祖様とかに思いを馳せいつかそこ己も至るようにと願う日だそうです。ご先祖様ごめんなさい←思いを馳せた結果。
同様に仏教用語で極楽浄土。これは遥か西方の彼方にあるものとされていました。単純に仏教が伝わったのが西から伝わったものだからかもしれない。他の宗教と同様に、一日の終わりに太陽が沈んで行く方向に終わった後の安寧の世を考えたからかもしれない。神仏習合しすぎてここら辺は仏教なのか太陽信仰なのか祖霊信仰なのか。そこへ行けばどんな願いも叶うというよ誰も皆行きたがる遥かな世界。
神道とか太陽信仰に話が戻ります。そもそも「彼岸」とは「日願」であるというお話。太陽に日々の安寧、豊作豊漁豊猟を願う。あるいは感謝する。太陽が真東から昇り真西へ沈む日と言うのは節目の日に丁度良かったんだろう。そんなわけでアマ公を撫で撫でして労わる携帯ゲームはいったいいつになったら発売するのでつか。
最終週的に「彼岸」が現在用いられる結果になったのは、一重に平安時代に空也さんが頑張った結果だと思う。聖徳太子あたりから国自体が積極的に仏教を取り入れたとかそういうのよりもまず空也さんが頑張って全国行脚したからだと思う。
春分・秋分はそんな感じで特別扱いなのに対し、夏至・冬至は別に休日になんかならない。無論この日もアマたんが一番元気な日、一番元気のない日ということで、ゆず湯入ったりかぼちゃ食べたり一家団欒するのがよいとしたりとかなんか。夏至ってそういえば特に何もしないね。アマたん絶好調だからか。んなわけない。
春分・秋分が特別なのは、太陽が真「西」に沈むから。既に出てる通り彼岸やら浄土信仰やらもあって西が特別なのもあるが、それ以上に、昔の皇居があった場所である奈良・京都・難波から見て西の方は怖いところだった。何が怖いって、そこに出雲があるからさ。
現在日本神話として伝わっている、天之御中主神から始まってなんとなく天照大御神が大ボスな気がするお話は、古事記、日本書紀や風土記での記述が基。少なくとも天武天皇の時代に漸くトップに立った大ボス神様が、群を抜いて最強であったかというと実はそうでもない。だから神話では出雲系の神様である国津神が割と丁寧な描写で書かれてる。気を使っていたんだと思う。そもそも国津神だって三貴子の系譜なのだから、ほっといたってなんとなく天照大御神がボスのような気がするのにわざわざ天孫降臨して葦原中国を治めたりとか何それいみわかんない。
神無月にだって、八百万の神々は出雲へ行く。風土記だって、出雲には出雲独自の国引き神話の記載が許されている。国津神として神格化された出雲の人々を、天津神側の当時の朝廷の人たちが怖がってたから、あるいは結構力関係が拮抗していたからではないか。序に言うと大国主神の相方である少名毘古那神とか大物主神とかも西の海からきている。これは大陸から来た技術者や知識人の方々を神格化したのだとは思うけど、とにかく西ってなんかすごいのがやたらいる。
怖いんだけど崇め奉るのでその怖い力をどうにか貸してくださいね(=´ー`)ノ ヨロシク  と、言うことが日本には度々ある(例・崇徳天皇、菅原道真)。
…そんな気がしてならない春分の日です。ちなみにぼたもち食うのは牡丹が春の花だから。秋分の日のお萩は萩が秋の花だから。どっちもおんなじあんこのおもちです。
作品名:春分についてチラシの裏 作家名:F供花