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欠片

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第2章 悪夢


「起きるか……」
 どうも今日は色々なことを思い出して仕方が無い。まだ夜明け前ではあったが、また眠ると妙な夢ばかりを見ることになりそうで、このまま起きることにした。
額と背にじっとり汗をかいていた。魘されていたためだろう。浴室で汗を流してこよう。幼い頃の夢を見ると、いつもこうだった。
 あんなことがあったからだ――。
 昨日のことが思い出される。その時と同じ感情と共に。


 いつも通り、特務派専用の事務室で書類を整理していた。書類にミスは無いかどうか何度も確かめた。上官のロートリンゲン大将は厳しく、ミスをすればきつく叱られる。本来、俺の直属の上官は少将なのだが、ロートリンゲン大将は階級の分け隔て無く接してくる。だから、叱られる時も同様で、不備がある時はいつも直接、呼び出しを受ける。
 仕事熱心ではあるがその厳しさから、ロートリンゲン大将を嫌う将官も居た。国運を左右する仕事にミスがあってはならない――というのがロートリンゲン大将の持論で、その点については俺も頷けるのだが、如何せん、厳しい方だった。執務室に呼び出され、何度怒鳴られただろう。書類の再提出を求められるのも、度々だった。
 周囲の同僚達のなかには不平不満を漏らす者も居たが、俺はまだ耐えることが出来た。ロートリンゲン大将の叱責は理に適ったもので、自分自身の過ちであることは確かだったからだった。ミスさえしなければ、ロートリンゲン大将は何も言わない。書類を提出してその日に呼び出されなければ、その書類には不備がなかったということになる。尤もそんな日はまだ数えるほどしか無かった。
 この日も書類の見直しを終えて、中将の許に書類を提出しに行こうと立ち上がった。側に居たカーティス中佐が俺を見て、見直したか、と声を掛けてきた。
「はい。三度見直しました」
「仕事が早いな。だがその分、閣下から怒られる回数も増えるぞ」
 揶揄めいたことを言う。笑って頷くと、君は真面目だなとカーティス中佐は言った。
「閣下が真面目だから、この部署は自然と仕事量も多い。それを嫌がって、異動を願い出る者も居るが……」
「間違えた仕事を身につけたくないですから、仕事に慣れるまでは閣下の叱責を受けてきますよ」
 そう応えると、カーティス中佐は一瞬眼を見開き、それから笑みを浮かべた。
「手強い新人が入って来たな。尤も君のような気骨が無ければ、此処ではやっていけないが」
 カーティス中佐はいつも傍らで様々なことを教えてくれる。一年間は辛いぞ――と教えてくれたのもカーティス中佐だった。
「では行ってきます」
 そう告げて、席を立ち上がり、部屋を出る。この事務局の一番奥にロートリンゲン大将の執務室がある。ロートリンゲン大将は軍務局司令官だから、本部の執務室に居ることも多い。そういう時は、この事務室を統括する中将に書類を提出するが、今日は来月の作戦の打ち合わせで此方に来ているとのことだった。
 書類を手に、少し緊張しながら廊下を歩いていた。
「ノーマン!」

 その声を聞いたとき、心臓が止まるかと思った。眼の前が真っ白になり、息が止まった。

「連絡も寄越さず、心配したのだぞ、ノーマン!」

 振り返りたくなくて、それどころか、身体が硬直して動けなかった。幼い頃のことがまざまざと蘇ってくる。腹や背を強かに殴られた時の痛み、手を振り上げられた時の恐怖、暴力的な言葉――。
「ノーマン!」
 腕を掴まれた。
 その瞬間、足が竦みそうになった。殴られる――と咄嗟に身体がびくりと反応した。
怖かった。この数年、夢の中以外では忘れていた恐怖が一気に呼び起こされた。
 心臓がどくんどくんと大きく鳴っていた。落ち着け――と自分自身に言い聞かせながら、何とか振り返った。
 叔父と叔母が居た。叔父は俺を見るなり、剣のように鋭い視線を浴びせた。逃げるなとでも言うように。
「……何故……、此処へ……」
 声を絞り出してそう言うのがやっとだった。
「学校を卒業しても連絡も無いから、心配になって軍務省に連絡をしたら、此処で働いているというではないか。きちんと生活しているのか?」
 心配になって、と先程からずっと強調している。何故心にも無いことを言うのかは解っていた。人目があるからだ。
「連絡先ぐらい教えなさい。まったくお前ときたら、何の連絡も寄越さない」
「……放っておいてください……」
 もう嫌だ――。
 叔父に掴まれた手が堪らなく嫌になった。一刻も早く、此処から逃げ去りたい。この二人の前から姿を消したい――。
「親代わりの私達が放っておけるものか!」
 親代わり? 保護者らしいことをしてもらったことなど一度も無い――。
「貴方達とは関係が無い! もう二度と……」
 叔父の手を振りはらい、この場を立ち去ろうとした。その時だった。

「何の騒ぎだ」
 眼の前にロートリンゲン大将が立っていた。
 見られた――。
 何もかも、見られたのだろうか――。
 今の光景は傍から見れば、俺が悪いことになるではないか。虚言癖のある子供と見なされた時のように――。
「閣下……」
 説明したくとも、このような話をどう説明すれば良いのか、どうオブラートに包んで話せば良いのか解らなかった。
「ノーマン・ザカの親族の、ジャック・ベルトンと申します。実は、ノーマンが士官学校に入ってから何一つ連絡を寄越さないので、心配して軍務省に連絡をしたところ、此方に配属していると伺いまして……。少し話をしたくとも、ノーマンがずっと拒んでいるのです」
 言葉が出ない――。
 叔父の話は脚色されたものだと言わなければならないのに、俺にはその証拠は何ひとつない。この二人は何も心配していないのに、それをこのような場で伝えるものでもない。そう考えると、俺は何も言えなくなってしまった。
「陸軍部特務派司令官のフランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲン大将です」
 ロートリンゲン大将が名乗ると、叔父夫婦はその名を聞いて驚いたようだったが、すぐに態度を変えて、いつも甥がお世話になっていますと、如何にも保護者らしく告げた。ロートリンゲン大将は此方を振り返ってから言った。
「ザカ少佐。先程の振る舞いは感心せんぞ」
「……申し訳……ございません……」
 反射的に謝った。
 だが――、何故俺が謝らねばならない? 
 違う。今、謝ったのはこの場を騒がせたことに対してだ。
「奥の応接室が空いているから、其方で話をしなさい」
 この場から逃げ出したいのに逃げ出すことも出来なかった。此処で逃げたら、仕事に差し障る。逃げ出したい一心なのに――。
「ザカ少佐?」
「あ……、はい。お騒がせして申し訳御座いません」
 そして俺は、叔父夫婦と別室で話をすることになった。
 折角、軍人となり一人の人間として駆け出した時のことだった。叔父夫婦から離れることに成功したと思ったのに、また叔父夫婦によって道を阻まれることになった。

 応接室に入り扉を閉めると、叔父は側に歩み寄って来た。
 殴られることを覚悟した。児童保護員が自宅にやって来た後、いつもそうして殴られていたから――。
「恩知らずめ」
作品名:欠片 作家名:常磐