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読み違え&萌え心を揺さぶるシリィズ

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読み違えドイツ詩妄想仕様・その3〜Mir ist kein weg zu steil zu weit


** 本作は『ぼくが途方に暮れる理由』に掲載していました **

 この詩のどこが妄想を加速させるかって《伴侶》に《とも》というルビを当てているところだ。読んだ瞬間、脳内が薔薇色に染まった。
『読み違え・その1』で取り上げたゲーテの場合はひたすら謝罪に走ったが、今回の作品はおそらく、読み違えてはいないと思う。詩の作者が同性愛者だからだ。まんまの作品が多数ある。

 この詩に触れたとき「ああ、これは浅葱の心情だな」としみじみ思った。
 卯月・皐月・水無月の章からだけでは想像し難いかもしれないが、本作は非常に重苦しい内容で、戯言が飛び交うのは7月も前半まで、後半より一気にシリアスモードへ突入する(だから掲載を打ち切ったともいえる)。
 同性愛をあつかった作品が明るく楽しい話になるわけがない。当人は長いあいだ暗い葛藤をかかえ生きてきたのだろうし、カミングアウトされた周りの者にしたって、簡単に受けとめられる問題ではない筈だ。
 故に、縹と浅葱は衝突する。住む世界が違うのだから当然といえば当然で、縹は浅葱の《そうした情動》が理解できないし、そんな縹を浅葱は責めることもできない。欲望でねじ伏せることは容易いが、それで失われるものの大きさと深さを、浅葱ほどの明晰な少年が看過するとも思えない(というより、欲情に溺れる少年であって欲しくない)。
 浅葱が、縹への愛情を友情に変えるのか。縹が、浅葱への友情を愛情に変えるのか。それとも二人のあいだでは、友情とも愛情ともつかない《なにか》が生まれるのか…。

 こんなことを考えていたおり、出会ったのが以下の詩だった。
 言葉にはできない或る容(かたち)を、この作品に見た気がした。 

      わたしの伴侶(とも)よ――きみと共に行(ゆ)くとき
      わたしにはどんな道も険しすぎ
      遠すぎはしない、どんな深淵もわれわれを怖れさせはしない、
      そしてどんな奥津城(おくつき)にも
                われわれは「宥和(ゆうわ)」を見る。

      そのようにしてわたしたちはただ悲愁のうちに
      枯れ草と茨のおおう
      荒れさびた灰いろの野を過ぎてゆく、
      だが悔いもなく怒りもない。

      わたしの涙に濡れた眼(め)はただ遠方に
      こういう「ひとりの伴侶(とも)」をさがしている、
      そのひとこそゆたかに調べをととのえて
      わたしたちの黄金の琴を受け継ぐのだ。
                          (手塚富雄氏訳)