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In der Stadt von einer stillen

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0. Ein Prolog - プロローグ -


 水が、湖が、空の薄紫と夕焼け色を混ぜ合わせながら激しく波打った。それは水面が、荒々しく侵入した俺達の存在を許したからだった。

 俺達、正確には俺と、俺に抱えられた彼女。

 頭から水を被ったが、それには構わず湖の奥を目指した。体中の傷に水が滲みた。既に息は切れていて、意識が一瞬遠退いた。
 何も振り返らずに、出せる全力の速さでここまで来た。こんなに必死になったのは初めてかもしれない。剣を握って敵陣の中を立ち回る時でさえ、ここまで切羽詰まったことはない。鼓動が厭に煩かった。
 微かに彼女の指が動いたのに気付き、俺は初めて彼女の方を恐る恐る見た。彼女がどうなったのか、知るのが怖かった。
「…アザレア」
 それが彼女の名前だった。
 だが俺はその名を呼び慣れてはいなかった。違和感が喉に引っ掛かって、口の中いっぱいに広がるようだった。思うように言えたかわからない。何故ならそれが、初めて彼女の名を呼んだ瞬間だったのだから。
「……ト」
 目を薄っすらと開け、微かに声をあげた彼女の胸に、大きく穴が空いていた。俺はその酷さに目を細めた。しかし、そこから血は流れていない。代わりに、大量の光が泉の中に零れ落ちていった。彼女の命、彼女そのものが、皮肉にも煌き放って。
 彼女の顔はやつれて翳っていた。否、もう指先から順に消えかけている。太陽のようだったブロンドの髪も、誰より輝かしい光を映していた翡翠の瞳も、もう湖の複雑な色に同化しようとしていた。
「融合するにはどうすればいい!?」
 今にも目を伏せてしまいそうな彼女に強く問うた。思うより早口で、気圧しているようだったかもしれない。こんな時にも、もっと別の言い方が出来ないものかと一瞬過ぎったが、そんな思考はすぐにかき消した。
 融合。それは光精霊である彼女を闇精霊である俺が唯一助けられる手段。少なくとも、今はそれしか知らない。しかし、肝心のその方法がわからなかった。一度しかそれを見たことがなかったからだ。彼女が怪我を負った俺を光精霊達から隠す為にやってみせた。光と闇、互いのエネルギーが反発せず融合して無になるという事実も、その時初めて知った。
「…わから、ないの…」
「わからない?」
「…あの時は、夢中、だったから…」
 絶望的だった。それは彼女しか知らない。光精霊の誰も、闇に触れようなどとは思ったこともないはずだから。無論、俺も光精霊に接触しようなどと思ったことはなかった。助けるなど以ての外だ。…まとわりついて目障りだった彼女が、つい先程、俺を庇うまでは。
 眉を寄せ、自嘲めいた表情で彼女は微笑んだ。既に覚悟は決めていたのだろう。その表情はとても穏やかだった。首に刻まれた闇の紋章がどんどんその躯を蝕んでいた。光精霊の長が罰として施したものだ。闇精霊に関わり、助けた罰を…。彼女は明らかに生命としての力を失い、死に近づいている。
「…あの時は、確か…こうして…」
 震えたその手が俺の首に回され、力なく引き寄せられた。湖に淡く浮かんだ彼女の躯に、自分の躯が重なる。もう実態は、ほぼ無い。このまま抱き返したら霧のように消えてしまいそうだったが、俺は軽く抱き返した。それが、自分に出来る数少ない償いだと思った。
「…温かい」
 そんなはずはない。既に俺も彼女も、水の温度と一体化している。どちらかと言えば、冷たいと表現するのだろう。それとも、別の事を表現したのだろうか。彼女の発言はいつも自分の想像だにない。…理解に苦しむ。
「…貴方、の…未来、変えちゃった…」
 そうか、光精霊の彼女等には、あの時俺が死ぬ未来が見えていたのか。
 …それで良かった。
 未練は何も無い。
 だが今、彼女がこうして俺に「何か」を残した。
 無残に強く、深い何かを残した。
 そして、その生命は…、
「…何故だ」
「わからない…でも、貴方に、会えて…良かった…」
 何が良かったものか。
 家族も想い人も捨て去って、何故、彼女は自分を最後まで庇った?
 それは、彼女にとって「何」であった?
 俺に、そんな価値はない。
 苦しい。
 光は、相容れない存在だ。
 そう言い続けていることの方が、遥かに楽だった。
 理解出来ない。
 思考が目まぐるしく過ぎる。


 …――解らない。


 行き着くのは常にそれだけだった。
「…もう、少し…こうしてて…いい…?」
 そう言う彼女の、俺の首に回した腕はもう消えてなくなっていた。見なくても重みが感じられなくなった事でそれがわかった。
「アザレア…!俺達、共鳴出来てるんじゃないのか!?」
 自分自身がまるで、空気に溶け込んだような感覚は確かにあった。光と闇、そして水の融合。自分達の存在は光でも闇でもなく、精霊でもない、無であり有であるものに、なれるのだろうと思っていた。…だが、彼女の姿は虚しい程に元には戻らなかった。
「…なぁ、何故だ!何故、俺ではなくお前なんだ…!!」
 これが報いだというのなら、彼女は無関係だ。
 殺るなら俺を殺ればいい。


 何故、彼女が。
 何故、何故、何故、
 ……何故、だ?


 彼女は微かに首を横に振った。
 もういい、そういう意味だと思う。
「…ありが、と…、私、幸せ…よ、でも…」
 光も闇も関係ない、ヒトに…人間に生まれたかった。
 精一杯微笑んだ、彼女の言葉にならなかった最期の想いは、過去の映像として痛みと共に脳裏に焼き付いた。
 それが視界から消え去った時には、彼女も腕の中から消えていた。
 微かな光の粒子を遺して。


 ――それが、美しい事のように。


作品名:In der Stadt von einer stillen 作家名:一綺