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南 総太郎
南 総太郎
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『幕末異譚 第二話 上野戦争』

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『幕末異譚 第二話 上野戦争』


今回は、友人が彼の祖母から聞いた祖祖父の体験談を披露したいと思います。


慶応四年五月十五日(旧暦、新暦の七月四日)、 上野寛永寺の広い境内に立て篭もった彰義隊

だが、当初三、四千人集まった筈が、愈々開戦の段になると大方が脱走し、残された千人

ばかりで碌な備えも作戦も無しに、新型兵器完備の新政府軍と戦う破目になった為、僅か十時

間足らずの夕刻五時頃には決着が付いてしまった。


二月下旬に結成されたばかりの彰義隊は、義経袴に陣羽織の出で立ちが何故か吉原ばか

りか巷の女達の間でも大変な人気で、女に持て度い為だけに入隊する者も多かったらしく、

それだけでも、戦に対する覚悟の程の見当が付くと言うものだ。


ともあれ、後から聞いた話では、彰義隊の生みの親たる幹部ですら、戦闘中に逃走する者も有

ったとかで、大村益次郎の完璧な作戦指導の下に展開された新政府軍の攻撃に晒され、あたら

若い命を散らして行った純真な彰義隊員を思う時、全く遣り切れない気持ちにさせられる。


当時入谷の裏長屋で朝顔作りを内職とする浪人だった、自分は職仲間の元一ツ橋家の家臣

に、彰義隊に参加して欲しいと誘われた。


当初は、今更佐幕派でもなかろうと断わったが、達っての願いと言うことで腰を上げた。


悪くすれば命を失うであろう戦などに参加したのは、一つには齢三十にして未だ妻女なく

身軽な独り者であった事、に加えて将来に対する何らの夢も希望もなく、只惰性で

日々を過ごしている我が身を思う時、戦に加わることに久し振りに生き甲斐らしきものを

覚えたからだった。


当日は雨天にも拘わらず、上野界隈は黒山の人だかり、握り飯屋まで登場する中、先ずは

正面の黒門から攻撃開始となり、一方不忍池越しには新型大砲が寛永寺の数多の建物に

向けて火を噴いた。


自分は、根岸方面の備えに加わって居たが、黒門が撃破されると、彰義隊は総崩れとなり、

あっと言う間に四散してしまった。

幸い、根岸方面は新政府軍の包囲が緩く、山から逃げ出すには都合が良かった。


尤も、これは大村の作戦の一つで、彰義隊を「窮鼠猫を噛む」の状態に追い込まない

為であった、と後で聞いた。

勿論、逃げ出す者を野放しにする筈もなく、厳しい検閲態勢が布かれていた。


自分は、すぐ羽織袴を脱ぎ捨て、町人に成り済まして山を降りた。

途中、検問に引っ掛かりひゃっとする場面もあったが、どうにか自宅に戻れる事が出来た。


首一つに一両の賞金が掛けれられたので、新政府軍は必死に残党狩りを続けたが、

それも、八月二十七日の明治天皇御即位に伴い、斬首は中止された。

その間の三月余りは、夜もおちおち眠れなかった。

一般庶民で首を取られたとか言う噂も耳にした。


人間とは妙なもので、上野戦争で九死に一生を得たことが切っ掛けとなり、その後の自分は

植木商人として朝顔商売に本腰を入れたのだった。

尤も、その商売も明治の終わりと共に消えて仕舞ったがね。



俺が、こうして存在するのは祖祖父のそうした翻意が有った証拠と、友人は語った。

                  
                         完