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南 総太郎
南 総太郎
novelistID. 32770
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『偽りの南十字星』 1

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『偽りの南十字星』

第1章 古い記憶

1975年。
終始エンジン音が響いている。
目が覚めたものの頭の芯が重い。
暫し、エンジン音と会話のざわめきの中に身を浸す。

「・・・村田が、結婚するら・・・」
「えっ、藤堂社長の媒酌で? どういう・・・」
「俺にも、よく分からんが、噂では・・・」

その時、機内にシートベルト着用のアナウンスが流れ、会話は途切れた。

陳英明は「トウドウ」の名に耳を欹(そばだ)てた。
しかし、会話は途切れたままである。
座席を起こしてベルトを締め直しながら、周囲を確かめた。
ファーストクラスの客達の中には、業務出張らしい日本人が何組かいたが、
皆一様に口を噤(つぐ)んでいて、会話の主達の特定は出来なかった。

機は大きく旋回しながら着陸態勢に入った。
丸窓一杯に美しい同心円の幾何学模様が広がっている。
隣国マレーシアのジョホール近郊に新設された油椰子のプランテーションである。
油椰子は通常のいわゆるココ椰子と違い、樹木は低く、房状の実から搾油する。

ヒョロヒョロとした椰子林の中に造られた一本だけの滑走路に、文字通り滑るように
着陸した。
シンガポールのパヤレバー国際空港である。
窓外を見詰めていた西洋人の老婆が振り向いて、陳に言った。
皺だらけの顔に真紅のルージュがいかにも不釣合いである。

「シンガポール航空の操縦士はいつも着陸が上手ですね」
機長がイギリス人であることを承知の上での言葉に思えた。

陳も窓から外を見る。
空港の片隅に駐機している2機のジェット戦闘機が目に入る。

日頃、2機編隊の戦闘機が自宅の上空を飛び去るのを目撃する度に、狭い領空
をあんなスピードで飛んだら、すぐ隣国の領空を侵犯しちゃうのではないかと要らぬ
心配をするが、ここから飛んでいるのだろうか。
確か、セレターにも空軍の飛行場があった筈だが。

報道によれば、近々大規模な旅客専用の空港が東端のチャンギの海辺に建設されると
のことだが、夜中の数時間内に、ここからチャンギへの引越しをするのは色々と神経を使って
大変だろうな等と思いながら、タラップからコンクリートの上に足を下ろす。
同時に、ズボンの裾から一気に熱気が這い上がって来る。

「シンガポールに帰って来た」
と実感する瞬間である。

足早に建屋の中に走り込む。
素早く税関に並びながら、ガラス越しに到着ロビーを窺(うか)がう。
娘の梅香の姿は見当らない。
未だ15歳ながら、170センチを超す白い細身の姿は目立つので、見落とすことはない。

自動のガラスドアを出た瞬間、細い腕が陳の腕に絡みついて来た。

「パパ、お帰りなさい」
「おっ、来てたのか。捜したぞ」
「隠れていたの」
「こいつ」
「来ない訳ないじゃん。大好きなパパのお帰りだもん」
「とか、言っちゃって。お土産が狙いだろ」
「へへっ、ばれたか」
「お前の好きな鯖寿司を買って来たぞ」
「ウワッ、サンキュウ、パパ」

陳の肩に載せた娘の頭の重みを感じながら、未だ子供なんだなと思う。
正面出口に向かう二人の姿を見て、なんと思ったのか、わざわざ振り返って見直す者もいる。
これまでも、何回かモデルの話が持ち込まれたが、陳は総て断って来た。
悪い虫が付くのを恐れているのである。

駐車場に待っていたジャガーに乗り込む。
お抱え運転手の王(ワン)が静かに走り出す。
性格同様、滅多に急ブレーキを掛けず、常に安全運転である。

「母さんの具合はどうだった?」
「うん、大丈夫。私がちゃんと面倒みてあげたから」
陳は妻の白鈴が喘息で苦しんでいたのではないかと気掛かりなのだが、梅香は頓着ない。
隣家のマンゴの実りが良いとか、うちのパパイヤの実が大きいとか、食べ物の話が中心である。

街中を抜け、ブキティマ丘陵の邸宅街に着く。
大きく頑丈な鉄製の門扉が王のリモコンで静かに開く。
色とりどりの花や樹木の間を通って車寄せに入る。

敷地 1、500坪
建坪   350坪 総石造り ビクトリア朝様式
      
元英国総督私邸だったものを陳が下見に来て、その場で購入を即決したものである。

しかし、三人家族には如何にも広過ぎる。
3人のメイド達が代わる代わる各部屋を掃除してまわるのを見ていると、陳も痛感する。
白鈴は陳の熱心な説得に根負けして購入に賛成はしたものの、今でも暗くなると怖いと言って
自室に閉じ篭ってしまう。

一階のリビングは三階まで吹き抜けで、コンサートピアノが程よく響き、音響効果抜群である。
妻の白鈴が弾くショパンの諸々の曲を聴きながら飲むコーヒーは格別だが、更に、陳の趣味の
一つであるチェロを白鈴の伴奏で弾き、二人の呼吸がピッタリ合った時などは正に法悦の境地
である。

娘の梅香もそんな環境に影響されたのか、五歳頃から教え始めたチェロが今ではバッハの無伴奏
チェロ組曲を全曲弾きこなす程になったので、今では陳の手を離れ、シンガポール交響楽団の主席チェロ奏者に教えて貰っている。
いずれは、海外留学の話も出て来ようが、陳は娘を一人で行かせるのは気が進まない。

陳は早速妻の部屋を覗く。

「あら、お帰りなさい。今回は早かったのね」
「うん、予定より早く話が纏まってね。どう、具合の方は?」
「まあまあよ。梅香もよく面倒みて呉れて」
「メイド達も遠慮なく使っていいんだよ」
「でも、夜はいないから」
「それもそうだが」
「ところで、兄さんから昨日も電話があって、例の件はどうだろうかって」
「ああ、そう。シンガポールはメーカーが無くなっちゃったし、マレーシアもサイズの点で問題があるし」
「なかなか、難しいのね」
「兎も角、もうすこし待って欲しいと言っといて」
「分かりました」

白鈴の兄の国強は台湾でパイナップルの缶詰工場を経営しているが、生食用の需要増で缶詰用の原料供給がジリ貧となり、操業しても年年赤字が増えるばかりとかで、遂に廃業を決意したらしい。ついては生産設備をそっくり売却したいので、売り先を捜して欲しいと依頼してきた。
しかし、シンガポールにあった一社だけのメーカーも最近廃業してしまい、隣国マレーシアは伝統的に主要輸出先の英国が特殊サイズで通常より小さく、一般の設備は使用不可能。タイ、インドネシアは未だメーカーが存在せず、一方フィリピンは米国大手が進出しているが、中古の設備など興味ある筈もなく、実は陳もこの依頼には頭を痛めているのだった。

陳は自室に戻り、レコードをセットすると、グラスにコニャックを注ぎソファーに身を沈めた。
シューマンのチェロ協奏曲が流れ始めた。
聞き惚れながら、ふと思い出した。

機内で耳にした「トウドウ」の名を。
あの事件以来、既に30年余りの年月が経過している。
否、この名との関わりはもっと以前に遡る。

                                           

                                        続