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炎舞  第二章 『開花』

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 やがて辺りが驚くほど静まり返った。時折、焦げた草木が崩れ落ちるような音だけが聞こえる。
 ややあって、息絶えたかのように思えた神明の胸が、上下に緩く動いた。しかし、隆々と盛り上がっていた筋肉は酷く焼けただれ、左腕は肩から吹っ飛んでいる。骨ばった顔に埋もれるように覗く眼球はどろりと濁り、光を失っていた。力なく咳をすると、口から鮮血が飛び散る。長くは保たないように思えた。
「哀れだな……。これが貴様という存在の末路だ」
 玉響が静かに呟く。神明は辛うじて玉響の方へ顔を向けるのがやっとのようだった。骨格を失ったかのようにだらしなく膝をつく神明は、喀血しながら弱々しく囁く。
「……我、ラ魔獣ハ……死シテ、モ……転生スル人間、トハ……違、ウ……」
 玉響の言葉に対して、神明は少しずれた答えを返した。魔獣である獣門族の魂は、輪廻転生する人間の魂とは異なる。
「死スレ、バ……我ラノ魂、ハ……完全ニ消滅シ……真(マコト)、ノ、死ヲ……迎エ、ル……」
「―――そのようなこと、既に承知している。命乞いのつもりか」
 冷ややかな双眸を受けながら、乱杭歯が並んだ口が、大きく歪んだ。
「…フフ……フ。ダガ……獣門ノ、長……ニシカ……伝ワッテ……イナイ〝術〟ガ……アルノ、ダ……」
「術……?」
 血と光を失い、今にも事切れそうな神明を目の前に、その時誰も予想などしなかった。

 ボキリ。

 何かが砕ける音が響く。
 肉と筋とに包まれた骨が、丸ごと持っていかれそうな鈍い衝撃だった。
 陽炎の、悲鳴。甲高く叫んだ彼女の声が、玉響の鼓膜を突く。
 同時にみしり、と今にもちぎれてしまいそうな音が、左肩から不気味に聞こえた。生臭い息と魔獣独特の血の匂い、そして恐らく、その中に自分の血も混じっているだろう臭気が、鼻腔に流れてくる。
 ―――一瞬、だった。計算であったのか、それとも最後の僅かな余力であったのか。
 玉響の肩に牙をたてた神明が笑った〝オト〟と空気を、玉響は全身で感じた。
 だがそれは、すぐさま途絶える。
 突起した水の攻撃が神明の首を貫く。そして最後の、とどめの一撃が神風から振り下ろされた。
 ―――ごろり。
 槍の切っ先から、ぽたぽたと紫の血が滴る。その横に転がる、神明の首。芯を失ったようにガクリとうつ伏せに倒れた本体側の斬口からは、まだ間欠的に血が噴き出していた。獣門族、最後の空人は、二つの肉塊へと姿を〝変えた〟のだった。
「―――けったくそ悪いヤツや! ようやくくたばりおったか。玉響、傷見しぃ、水の膜張ったる」
 綿津見が地面に膝をついた彼に駆け寄り、抉られた肩の傷に手をかざす。神明に受けた彼女自身の傷は既に自分の能力で塞いでいた。生命の癒しを司る、龍神族ならではの力だ。
「……陽炎、そのような顔をするな。私なら平気―――」
 口に出して、すぐに玉響は失言だったと悔いた。玉響の着物の端を掴んでいる陽炎が、瞳いっぱいに涙を溜め、今にも泣きそうな顔で怒っているのを見たからだ。
「どこが平気なのですか!! あなたに何かあったら私は……私はっ……!!」
 途端に、血にまみれるのも構わず、陽炎は子供のように玉響に抱きついてくる。その華奢な身体が小刻みに震えていた。
「陽炎……。……すまぬ、心配をかけたな」
 陽炎の恐怖を削ぐように、玉響は穏やかな声音で言って微笑む。軽く自分に引き寄せて、優しく彼女の頭を撫でた。
「うふふ、愛されてんなぁ玉響。見てるこっちが熱ぅなるわぁ」
「……ったく、余裕かましてっから隙を突かれるんだよ。陽炎泣かすんじゃねぇよ」
「あれぇ? 神風、あんた玉響に嫉妬してるん? やめときやめとき! 朱鬼族一の美女の相手はあんたには無理やわ」
「てめぇ…その喧嘩買ってやろうか、あぁん!?」
 少し離れた所で、その様子を眺める荒鉄の口元が緩む。が、刀を握りしめたまま、その表情は思案顔に変わり、視線を地に転がった神明の首へ移した。
 物言わぬ生首と首無し死体の二つ。―――神明は、
「……死んだ……」
 静かに荒鉄が呟くと、にわかに、ぽつりと来た。天から降ってきた小さな滴が、荒鉄達五人の頬を濡らし、辺りへ降り注ぐ。
 炎の残滓か、身の内に燻る熱さか。濡れた身体から蒸気が立ち昇る気配を、玉響は感じた。
「……これで、ようやく終わったのですね……」
「……ああ。もう、大丈夫だ」
 優しく囁きながらも―――。玉響は陽炎の言葉に〝ひっかかる〟ものを感じていた。
 〝終わった〟……。
 何故か強烈に、その言葉が心から消えない―――。

作品名:炎舞  第二章 『開花』 作家名:愁水