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新世界

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 トーレス医師は普段、私の前では突然死という言葉を避ける。今、敢えてその言葉を使ったに違いない。
 彼は帝都第七病院で院長を務めていて、私の幼い頃から、この家の侍医も担当してくれている。普段は温厚な医師だった。ところがそのトーレス医師が、突然死の言葉をちらつかせながら、私を叱った。彼にそうした叱責を受けるのは二度目だった。去年倒れた時と今回。彼は診察を終えると、無理をしないよう念を押し、絶対安静を告げた。
 身体が重く、首を動かすのも億劫だった。会議が無事に終わったことに安堵したことと、再び投与された薬のせいもあるのだろう。程なくして眠りについたらしい。次に眼を覚ました時には夜になっていた。ミクラス夫人はずっと側に居てくれたようで、心配げな様子で、また熱が下がりませんね――と額に手を置きながら言った。
 身体がまだずっしりと重かった。大抵は眠ったら少しは楽になるのに、眠りにつく前よりも具合が悪かった。眩暈が酷いことに加えて、息苦しい。やはり朝、無理をしてしまったからだろうか。
 ミクラス夫人はトーレス医師にもう一度診てもらいましょうと言って、部屋を出て行った。眼を開けていると天井がゆらゆらと波打つ。眼を閉じて深呼吸を繰り返した。もう少し眠ろうと思った。
 その時、携帯電話が鳴った。
 オスヴァルトだろうか。手を伸ばして、ベッド脇の棚の上にある携帯を手に取る。画面の文字が掠れてよく見えない。眼を凝らしてそれを見つめる。
 オスヴァルトではなかった。画面に表示された名前を見て、息を飲んだ。
「……レオン……」
 これまで一度も連絡はなかったのに、何故この時に連絡してくるのか。この戦争に足を踏み入れようとする時期に。
 戦争となることはない、と私はあの時言い切った。帝国は侵略をしない、と。
 だが、それが今は――。
 私は――結果として嘘を吐いたことになる。
「……っ」
 通話ボタンを押すことが出来なかった。今、電話を取っても嘘に塗れた言葉を交わすだけのことになる。まだ開戦決定のことは公にはなっていない。だが間もなく宣戦布告され、帝国と新トルコ共和国は戦うことになる。それを知っているから――、レオンと話は出来ない。嘘は吐けない。戦争にはならないとは……もう言えない。
「フェルディナント様、じきに医師が此方に来ると……。フェルディナント様!?」
 急に呼吸が出来なくなるほど苦しくなって、ベッドに蹲った。意識が朦朧として、ミクラス夫人の言葉もよく聞き取れなくなっていった。

 結局、それから三日間寝込むこととなった。レオンから連絡が入ったのはあの時の一度限りだった。たとえ連絡が来たとしても、私は多分電話を取ることが出来ないままだろう。
「フェルディナント様。ブラウナー様がお見えです」
 漸く熱が下がったこの日、オスヴァルトがやって来た。分厚い封筒を持っていることからも、私が休んでいる間に様々な案件が飛び込んできたのだろう。
「閣下。具合は如何ですか?」
「もう大丈夫だ。明日には出勤する。こんな時期に休んでしまって済まなかった」
「御無理はなさらないで下さい。陛下もご心配なさっていました」
「そうか……」
「昨日、閣下のことを伺いに宰相室にいらっしゃいました。陛下は閣下に宮殿に身を置いてほしいとのお考えです。閣下専属の侍医も既に決めてらっしゃるとか……」
「……陛下と顔を合わせた時はいつもその話だからな。いつになったら宮殿に来るのか、と。まだ家の継承が落ち着いていないからと言っているが……」
 実際は、このロートリンゲン家のことに関しては、何も対処していなかった。その必要は無いと考えていた。いずれロイが此処に戻ってくるから、それまでの間、この家はそのままにしておくつもりだった。
「陛下は他には何か?」
「閣下がいらっしゃったら、陛下の執務室に来るようにと」
「そうか。解った」
 早く宮殿に来るように、また催促されるのだろう。
 少々、気が重い。
「それから、昨日と一昨日の分の報告書です。閣下が予定していたものとさほど変わりはありませんが……」
「ありがとう。特に問題は無いか?」
「昨日、外務省のブラマンテ次官が閣下に会いにいらっしゃいました。お休みだと伝えたら、閣下に伝えてほしいことがあると……」
「ブラマンテ次官が?」
 外務省のダニエル・ブラマンテ次官とは外交官時代から付き合いがある。そのため、誰よりも早く情報を持って来てくれる。外務省の長官が守旧派であり、進歩派である私にあまり情報を流したがらないため、彼からもたらされる情報は非常にありがたいものだった。
「アジア連邦で大演習が何度か行われているようです」
「……海戦と陸戦、どちらに重点を置いているか言っていたか?」
「海戦ではミサイルを想定した演習を行った模様です」
 アジア連邦は、帝国が新トルコ共和国と陸上で戦っている間、海上から攻めるつもりだろうか。否、その前に、ミサイルを使用するということは国際会議を経なければならない。国際会議でそれが認められる事態を想定しての大演習だとしたら、戦争が長期化すると読んでいるのか。
「……アジア連邦といえば、彼に調査を頼んでおいたのだが、特殊部隊について何か言っていなかったか?」
「極秘のようで容易には探れないそうです。ですが、もう少し探ってみると仰っていました」
 彼に頼んだ時にも、調査は難しいと告げられた。戦略室の人員自体、探るのが難しいのだと言っていた。特殊部隊については、これまでの戦闘データから探るしかないか。
「各省、戦争に向けての準備が進んでいます。軍務省も今週末に大演習を行うとのことです。陛下も視察に訪れるとのことでした」
 皇帝は準備が整い次第、開戦に踏み切る考えだった。このまま準備が進めば、月末には新トルコ共和国に宣戦布告を行うことになるだろう。

 レオンはどう思っているだろうか――。
 あれ日以来、一度もレオンから着信は無い。安堵しながらも、気にはなった。レオンは何のために私に連絡をしたのだろうか。


 4月25日、帝国は新トルコ共和国に宣戦布告した。君主制の否定が帝国を著しく侮辱したこと――これが表向きの主な理由となった。あとは国境付近の利権に絡む文言も盛り込まれたが、帝国側の侵略行為であることは誰の眼にも明らかなことだった。



作品名:新世界 作家名:常磐