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第13章 一筋の陽光




 熱が下がらない――。
 額に手を触れると、常に熱を感じる。高熱という程でもないが、平常の体温ではないことは明らかだった。時折、うっすらと額に汗を滲ませる。そうかと思えば、身体を震わせることもある。
「……なあ、アラン。気持は解るが、あまり肩入れしないほうが……」
 汗を拭ってやると、ジルが声をかけてくる。牢の鉄格子を三つ飛び越えたところにジルが居る。俺は、ルディの牢の中に居た。
 看守に頼み込み、動けないルディの分の作業をし、世話をするという条件で、ルディと同じ牢に入ることを許してもらった。それが三日前のことだった。
 ルディは殆ど動けない状態に陥っていた。最後に作業を行ったのが十日前だった。作業を終えて、夕食を摂りにいく途中で倒れた。牢に連れて行き、容態を見守ったものの、翌日になっても眼を覚ますことは無かった。さらにその次の日もルディは意識を取り戻さなかった。
 鉄格子を挟んで、何度呼び掛けたことだろう。三日目に漸く意識を取り戻したものの、声を出すことも出来ない状態で、ぐったりと横たわっていた。とても作業の出来る身体ではなかった。そして少しでも食べさせなければ、このまま弱り切ってしまう。
 だから、ルディの作業分も俺が受け持つと、看守に言った。
 だが、二人分の作業は思っていた以上に労を要した。そもそもこの刑務所内での作業は一人に割り当てられる作業分が半端ではないから、それを二人分やり遂げるとなると相当な労力が必要になる。それでも何とか二人分を終わらせることが出来たのは、影ながら手伝ってくれたジルや仲間達のおかげだった。
 だがルディは、物を食べることさえも出来ないほど弱り切っていた。無理をしてでも食べるようと促して、スープを口元に運んでやる。そうして半分を食べるのがやっとだった。
 話も出来ず、虚ろな状態で横たわっていることも多いから、皆はルディのことを半ば諦めていた。

 もう長くない――。それは俺も薄々感じている。
 ひゅうと喉を鳴らし、息苦しそうに喘ぐことが度々ある。背を摩っていると、血を吐くこともある。何よりも顔色はまったく血色が無くて、薄暗い牢のなかでは死人のように見える。
 そして一昨日から再び意識を失い、昏々と眠り続けていた。眠るといっても苦しそうに顔を歪めることもある。眼を覚ましたら食べさせようと思い、食事は常に側に置いてあるが、もう食べられないかもしれない――とも思う。
 そもそも虚弱体質の人間にこのようなところに入るよう命じたということは、死を宣告するのと同じことだった。生きられる訳がない。ルディが当初、絶望していたのもそれを知っていたからだろう。
 だがルディは生きようとしている。今も懸命に生きようとしている。
「五十年生きるって言ったんだ……」
「アラン……」
「ルディ、弱々しそうに見えて芯の強いところがあるからな。そう簡単に死にはしないさ」
 ひゅうひゅうとまた喉を鳴らすルディの背をゆっくりと摩る。
 それにたとえもう長く生きられないにしても、一日でも長く生かせてやりたい。
 一度咳き込み、それからルディは、息をしているかしていないか解らないほど静かな眠りに落ちる。毛布を掛けなおしてやってから、俺も眼を閉じた。


 体内時計とでも言うのだろうか。この牢の何処にも時計は無いが、ベルが鳴る前というのは何となく解る。それぞれが起き出して、大きく背伸びをする。今日も俺はベルが鳴る少し前に眼覚めた。まずはルディの顔を覗き込む。
 ルディは静かに眠っていた。額にはまた汗が浮かんでいる。側にあるタオルを引き寄せて、汗を拭ってやる。ルディの唇は乾ききっていた。少し起こして水を飲ませて方が良いかもしれない。
「おい、おかしいと思わないか?」
 ルディ、と呼び掛けようとした時、誰かがそう言った。それに同調して、お前もそう思ったか――と声が飛び交う。
「どうしたんだ?」
「ベルが鳴らないぞ。もう鳴っておかしくない時間だろう」
「そういえば……」
 確かにベルが鳴らない。壊れたのだろうか。だがどうせあと少しすれば、看守達が怒声と共にやって来るだろう。
「ルディ。ルディ」
 ルディに呼び掛ける。何度か名を呼ぶと、ぴくりと瞼を動かした。
「ルディ。水を飲もう」
 ルディは虚ろな眼で俺を見た。奥にある洗面所でコップに水を注いで持って来る。ルディの背を支えながら起こし上げて、水の入ったコップを押し当てる。
「飲むんだ。ルディ」
 少しコップを傾けると、水がルディの口の中に入る。だらりと唇の端から水が垂れ下がる。それでもルディは少し唇を動かして、水を飲んだ。一口、二口。三口目に咳き込んで吐き出す。ルディの身体を横向きに寝かせて背を擦る。暫くすると咳は止まった。ルディはまだ眼を開いていた。起きているようだった。
「パンを少し食べよう。この数日、何も食べてないだろう」
「ア……ラン……」
「昨日のパンだからちょっと固いがな。ミルクで少しふやかせば食べやすいだろう」
 昨日のルディの分の夕食がそのまま残っていた。スープは冷え切ってまずいだろうが、パンとミルクなら味は変わらないだろう。パンを皿の上で細かく千切り、ミルクを注ぎいれる。柔らかくなったところで、匙を使ってルディの口元にそれを持っていく。
 ルディは口を開こうとしなかった。
「少しでも食べるんだ。身体が持たない」
 僅かに空いた口の中に、匙を挿し入れる。ルディは一度二度噛み、少し動きを止め、また噛んで漸く飲み込んだ。
「ほら、もっと食べろ」
 二匙目をルディの口元に持っていく。ルディは口を開いて、再び食べた。
 パンを半分も食べることは出来なかったが、何とか三日ぶりに食事を摂らせることは出来た。少し安堵した。まだ大丈夫だ――そう思えた。
「……夢……見ていた……」
「夢?」
「……弟に……逢えた……夢……だった……」
 ルディは嬉しそうに笑む。まるで実際に弟に逢ってきたかのように。
「……良かったな」
 ルディの顔色は頬だけが赤く、あとは全体的に青黒かった。死人と同じ顔色で、頬は痩せこけ、眼窩も黒い。首筋も手首も筋だけが浮き出ているような状態だった。
 きっとこうして話をしているだけでも辛いのだろう。開いた口は閉じることが無く、苦しげな呼吸を繰り返している。
 それなのに、弟の夢を見たというたったそれだけのことで、本当に嬉しそうな顔をする。
 弟に合わせてやりたいと思う。だが――、それはきっと無理だ。
「ロイ……」
 ルディは嬉しそうな表情のまま、そう呟いて眼を閉じた。




「アラン。やっぱりおかしいぞ。こんなに朝の時間が遅い訳が無い」
「……そうだな」
 ジルの言う通りだった。看守が来るのが遅すぎる。既に牢内は全員起き上がっており、看守の到来を今か今かと待ち受けていた。看守が来なければ牢は開かず、食事も貰えない。こんなことはこれまでに無かったことだった。
「騒ぎ立てたら来るかな」
 誰かがそう言った。賛同する者は多数だった。話し合った結果、全員で声を上げることにした。
作品名:新世界 作家名:常磐