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第12章 希望と絶望




「ルディ! ルディ!!」
 鉄格子の隙間から手を伸ばし、額に触れる。微熱がある。高熱には至らないような熱がずっと続いている。
 意識を失うほどの熱ではない筈なのに、昨日から一向に眼を覚まさない。呼びかけにも応じない。時折、酷く咳き込んで、ひゅーひゅーと喉を鳴らす。顔色は血の気が完全に引いたかのように蒼白い。何処か苦しそうに身体を蹲らせることもある。
「ルディ……」
「まだ眼を覚まさないのか?」
 格子を飛び越えて、ジルが声をかけてくる。ああ、と頷き返すと、まずいんじゃないか――とジルは言った。
「先週も作業場で倒れて、次の日まで気を失っていただろう。その前の週もそうだ。それに起きて作業をしていても、真っ青な顔をしているし咳も酷い。それに食べても吐いてるだろう」
「身体が弱いと言っていたから、こんな環境で体調を崩したんだ」
 ジルの示唆していることを否定したくて、言い返す。だが俺自身も薄々勘付いていたことでもある。
「アラン。ジルの言う通りだ。……宰相には悪いが、きっとそう長くないぞ」
 俺とジルの間の牢にいるエドガルが眉を顰めながら言う。そんなことを言うな――と返している間にも、ルディは咽せるように咳き込んだ。背を摩ってやりたくとも、此処からでは手が届かない。
「……風邪を拗らせただけだ。ゆっくり休ませてやりたくとも、それも出来ないんだからな。栄養を摂って休ませたいが……」
「こっそりパンを持ち帰ることも出来んしな。喰わないと弱っていくのに、喰うには作業を終わらせなきゃならん。……でもルディにはもう無理だろう」
 ジルに言われずとも、そんなことは解っている。どうにかして少しでも食べさせたいが、この牢に食糧を持ち帰ることが出来ない。今日もルディのためにこっそりパンを持ち帰ろうとしたら、刑吏官に見つかって殴られた。
「……病人を医師に診せることも出来ない国の何が栄えある帝国だか……」
 呟かずにいられなかった。これだけ眼の前で苦しんでいるというのに、刑吏官達は医師を呼ぼうともしない。朝の号令に応じない時は蹴って起こそうとする。苦しさに呻くルディの頭を掴み、床に叩き付けたこともある。
「医師に診せることは出来ないこともないが……、薬は貰えんぞ、アラン」
「診て貰えるのか……?」
 エドガルに聞き返すと、エドガルは天井を見て言った。
「上の階に医師免許を持った奴がいる。ちょうど明日、合同作業だろう?」
 半年に一度か二度、地下一階の囚人達と合同で作業を行うことがある。確かに、明日はちょうどその日だった。医師免許を持った人間が居るとは知らなかったが――。
「昼の飯時に診て貰うことは出来るだろう。……その医者も宮殿に居たとか何とか聞いたことあるぞ」
「へえ……。じゃあ明日、ルディを起こして診て貰った方が良さそうだな」
「気休め程度にしかならんだろうが……。そもそも薬も無いのだから、治すためには食えとしか言えんだろう」
 此処では治療はしてもらえない。栄養をつけること――食べることで体力を回復させることしか出来ない。
 ルディは酷く痩せていた。此処に来た当初は、背の高く均整の取れた身体付きをしていたが、今はその時の姿を想像することすら難しい。げっそりと痩せ、眼の下には青黒い隈が浮かび上がっている。
 それに一昨日の朝以来、何も口にしていない。眼を覚ましたら水を飲むように促すつもりだが、未だ眼を覚まさない。これでは弱っていく一方なのは明らかだった。
 明日は引きずってでも連れて行こう――そう考えて、ブランケットを引き寄せてルディの側で身体を休めた。

 俺はこの男を死なせたくなかった。
 命を救ってもらった恩義もあるが、何よりもこの男になら、この国の政治を任せても良いと思える。俺がそんな風に思ったのは初めてのことだった。それも旧領主層の人間に。
 ルディは正義感も強く、信念を曲げることがない。
 このまま此処で死なせるには惜しい人間だ。皇帝によって潰されなければ、この男は何かをやり遂げた筈だ。閉塞感の漂う帝国を変えることが出来た人間ではないか――俺はそう思えてならない。



「ルディ、ルディ」
 三度四度呼び掛けた時、ルディの指がぴくりと動いた。そのためもう一度頬を軽く叩きながら呼び掛けた。
 瞼がゆっくりと引き上げられる。一度瞬きをする。
「具合が悪くても起きるんだ、ルディ。今日は合同作業で、上の階の奴等が下に降りてくる。その上の階の奴等のなかに医師免許を持った奴が居るらしいから、少し診て貰おう」
「アラン……」
「大丈夫か?」
 ルディはもう一度瞬きをして、それから掌を床につけた。起き上がろうとしていたが、両手が震えていた。
「頑張れ」
 ゆっくりと何とか起き上がる。しかし半身を起こした時、ルディは左胸に手を当てた。辛そうに顔を歪める。
 もしかして心臓が悪いのだろうか。そういえば、蹲っている時、左胸を押さえていることが多い。
「大丈夫か……?」
「……ああ」
 真っ青な顔をしながら、ルディは微笑み応える。きっと辛いのだろう。
 そのうちに刑吏官がやって来て、点呼を行った。ルディも何とか牢の前に立ち、俺の後について歩く。よろめきながら歩いていることが何となく察せられた。

 しかし、食事の席に着いたルディは苦しそうに机に俯せた。少しでも食事を摂るように促しても、ルディは机から顔を上げることすら出来ない状態だった。
「ルディ……」
「おい、アラン。休ませておいた方が良いんじゃないか……?」
「だが……」
「上のあの医者に診せたところで治療してもらえる訳じゃないんだ。食べ物を少しでも腹にいれて、休ませておいた方が良い」
 言ってから、エドガルはルディに朝食を摂るよう促した。ルディの斜め前に座っていたクロードも同じように促す。机に俯せていたルディの額には汗が滲んでいた。何とか身体を起こしてミルクを口にする。一口二口ほど飲んで、スープを少し飲む。その時、朝食の時間の終了が告げられた。
「牢で休んでおくか……?」
 そっと問うと、ルディはまだ動ける――と応えた。


 動けるといっても、ルディの状態は作業が出来るような状態ではないことは明白だった。軽作業なら兎も角、今日は重労働で、大きな木材や鉄材を運んだり組み立てたりしなければならない。
 立っているのがやっとの状態で、そんな作業が出来る筈も無い。
 ルディをなるべく刑吏官の眼から離すよう、俺の背後に立たせる。エドガルやジル、クロードもルディを隠すように立つ。
 作業内容が伝えられるなか、やがて、地下一階の囚人達が二階の作業場に降りてきた。エドガルに医者はどの男だと問うと、エドガルも囚人達を眼で追って探していたところだった。一分ほど探していただろうか――あの男だ、とエドガルは老いた一人の男を指し示した。
 見たことの無い顔ではなかった。一度二度、顔を見たことがある。医者だとは知らなかったが、彼が重い物を持つのに苦労していたところを手助けしたことがある。
「名前は?」
「それが思い出せなくてな。何とか……ベ……ベック?とか言う名前だったような気もするが……」
作品名:新世界 作家名:常磐