小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

あなたの娘です

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
『あなたの娘です』

そこは一年中、風の吹く抜ける港町で、住民の殆どが漁師である。古い町並みはもう何十年前から変わらない。そんな中で、海の近いところに一軒のしゃれた西洋風の館がある。館は鬱蒼した森のように繁った庭木に囲まれている。
暮らしているのは、一匹の老犬と十年来働いている家政婦と執事、それに館の主で、今年で七十五になる田村金蔵である。

 夏の昼下がり、喧しい蝉の声で館を覆っている。
 一台のタクシーが館の前で止まったかと思うと、美しい貴婦人のような女性と娘がタクシーから降りてきた。金蔵のかつての愛人である立花華子が娘を連れてきたのである。娘はすらりと背が伸びた美しい娘である。白いワンピースが実に似合っている。
 
館に入ると、執事が出迎えた。母と娘は広間に通された。
 どれたけの時間が過ぎたことか。金蔵がようやく現れた。
 金蔵は「何の用だ?」と言うと、
華子は少し笑みを浮かべ「この子はあなたの娘です」と言うと、合わせるかのように娘が丁寧にお辞儀をする。
「名前は?」
「幸せの子と書いて“幸子”です」
「どうして、その名前を!」と金蔵は興奮の色を隠さなかった。
「子供が生まれたとき、ふと、あなたが昔、話してくれた妹さんのことを思い出したから」
 金蔵は信じない。出来過ぎた話だと思ったからである。安っぽい物語を作って、大方、金をせびりに来たのであろうとも思った。
 金蔵は若かりし頃、いろんな事業に手を染め、成功した。それと同じ位の女たちを愛した。華子もその一人であった。彼の愛し方は実に動物的であった。一度、惚れると三日三晩、夜を共にしたが、逆に飽きると、容赦なく棄てた。
金蔵は華子を見つめながら「昔、年に一回や二回、妊娠したと女が言ってきた。みな、金欲しさに嘘をついていた。お前も同じか?」と揺さぶりをかけた。
「違います」
 華子の目が微かに笑っている。本当に儂の娘だということか? もし、そうであれば、自分と似たところがあるはず。そう思って、金蔵は娘をじっと眺めた。目が大きい。鼻の凛々しい。口は小さくも大きくもない。とても美しい……と同時に無骨な自分の顔とは大きくかけ離れていると思った。娘は見つめられて恥ずかしいのであろうか、うつむいた。
「もう一度、聞く? 本当におれの娘だと言うのか?」と金蔵はしかめっ面して問うた。
 華子は優雅といってもいいほどの微笑を浮かべながら、はっきりとまるで幼子を諭すような口調で「では、もう一度言います。あなたから授かった子供です」
 金蔵は華子を見た。確か四十歳を過ぎた華子の髪には白髪が混じっている。金蔵は過ぎた時間の長さを考えた。
華子は金蔵の視線に気づき、わざと視線をそらした。視線の先には広い庭がある。屋敷のそばに大きな鉢がいくつか置かれており、夏の強い日差しを浴びながら赤や紫ならの朝顔が咲き誇っている。
「苦労したのか?」
 華子は何も答えなかった。
 沈黙がどれほど続いただろうか。娘は相変わらずうつむいている。向かい合う金蔵は、相変わらず金魚のような眼で見ている。年老いたとはいえ、圧倒するものがあった。
「あの……」と華子が言いかけたとき、ドアが開いた。
「お茶をお持ちしました」と家政婦が差し出したのは番茶であった。
『相変わらず、しみったれている』と華子は思った。
「もう何年になる?」と金蔵が問うた。
「十六年です」
「たった十六年か?」と金蔵は呟いた。今でも眼を閉じれば、華子の肢体を思い出すことができた。
「儂を棄てて、確か、芸術家くずれと一緒になったと聞いたか?」と指を鳴らす真似をした。
「それは誤解ですわ。先にあなたが私を棄てたのです。だから、仕方なしにあの人と一緒になりました。妊娠していると分かったのは、その一か月後です。彼は妊娠が分かっても、一緒になろうと言ってくれました」と華子は動じることなく話した。
華子は娘が覗き込んだ。少し涙ぐんでいた。
金蔵を気にしながら「帰りたい」と言って母親を見た。その純粋な眼差しに金蔵ははっとした。遠い昔の子供の頃に亡くした妹のことを思い出した。
 華子が話を続けようとするのを遮り、「儂の子だという証拠はどこにある?」と金蔵は呟くように言った。
「あなたと同じ血液型です。それにDNA鑑定すればはっきりします」と勝ち誇ったように言った。
「仮にそうだとして、十六年も過ぎて何しにきた? まさか、娘をだしにして金を寄越せというのか?」と侮蔑するかのように言った。
 華子は冷静に首を振った。
「お金はいりません。でも、この子を育てて欲しいのです」
「この老いぼれに? こんな小娘を」
 意外な提案に驚いた。育てよという娘をあらためて見た。既に胸は脹ら初めている。子どもから少女に変身しようとしているのだ。妹も確か同じ年頃の頃に亡くなった。貧困で満足に食べることができずに、この世を去った。娘を見れば見るほど、遠い昔に亡くなった妹を思い出さずにはいられなかった。だが、仮に血が繋がっていたとしても、子育てなど経験したことのない自分にどうやって育てろというのか? 金蔵は笑わずにはいられなかった。大笑いした。しかし、華子は動じない。その眼はそうなることを予想しているといわんばかりの涼しげな目だ。金蔵が笑い終わると、華子はゆっくりと言った。
「私の命はもう長くないのです」
「どういうことだ?」
「ガンになってしまいました。もう先は長くないと思います」
「ガン?」と聞き返すと、華子はうなずいた。
「浩一郎もそうでした。五年前、結局、夢を果たせないまま、ガンで生涯を閉じました」
「浩一郎……確か、お前が一緒になった男か?……かわいそうにとでも言ってほしいのか? 残念ながら、ずっと昔から他人の不幸に同情するような気持ちは持ち合わせていないよ」とまた哄笑した。
 金蔵は既に七十六である。事業は腹心の部下に任せ、今は悠々自適の日々を送っている。今でも愛人がいるが、欲望を満たす相手でしかない。女も金のために喜んで肉体を金蔵に差し出しているに過ぎない。傍からも羨むような生活にも見えるが、実は、そんな日々に飽きしていた。同時に何かが欠けている。精悍とした金蔵の顔の皮をはげば、寂しい顔がある。
執事の青木が金蔵に近づき 「旦那様、出かける時間です」と恭しく言った。
金蔵は立ち上がり、「今日は面白い話を聞かせてもらったよ。儂には、子種がないんだ。何なら、DNA鑑定してもいい。残念だ。金をくれというなら、それも良かったが……」
 子種がないというのは嘘である。数多くの女たちと交わったが、子どもができなかったに過ぎない。華子にかまをかけたのである。
華子の頬に一条の涙が流れた。さりげなくハンカチで拭ったが、金蔵はそれを見逃さなかった。金蔵はそれが真実の涙なのかそれとも演じた結果なのか測り兼ねた。どちらにせよ、さすがは華子だと思った。金蔵の愛した女の中で一番良い女だった。手放すべきではなかったと後悔している。あのとき、嫉妬深い若い愛人にそそのかされて、別れてしまったが、華子はあらゆる面で他の女よりも勝っていた。なぜ捨ててしまったのか? と金蔵は自問した。
 再び、青木が「旦那様、出かける時間です」と恭しく言った。
作品名:あなたの娘です 作家名:楡井英夫