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相聞歌

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(2)




 大伯父の百日法要が済み、そろそろ遺品を整理しようかと言う話になった。
 秋も深まり、間近に冬、動いて汗をかかない季節になったのと、来春、東京の大学に進学を希望している佐衛士の末の妹が、祖母の家から通いたいと言い出したからだった。本試験はまだこれからで受かるとも受からないともわからない状態だが、本人がそれを励みに追い込みをかけると言うので、両親の許可が下りた。
 大伯父が亡くなって、祖母が意気消沈しているのも佐衛士は気になっていた。賑やかな孫娘が来れば気も紛れて、いつもの陽気な祖母に戻るのではないかとの考えもあり、とりあえず部屋を用意することにした。
 遺品の整理を始めると、まず本が多いことに驚かされた。佐衛士は大伯父の生前、数えるほどしか彼の部屋に入ったことがない。それも病床についてからの様子見程度で、本棚の多い部屋だと思うくらいの印象しか残っていなかった。まさか押入れの下段にまで詰め込まれていようとは。大伯父はあまりテレビを見ない人だったので、一日のほとんどを読書ですごしていたのかも知れない。
 大半を古本屋に引き取ってもらうことにしたが、本の整理だけで半日以上を費やしてしまい、他のものに手を付けられたのは、日が暮れ始めた頃だった。
「あらあら、懐かしいわねぇ。お勤めしていた頃の写真だわ。まあ、お給料の明細も。シン兄さんはきしゃっ(きちん)とした人だったから」
 一緒に整理をしていた祖母は何かが出てくる度に手を止め、涙ぐみながら懐かしさに浸るので、なかなか進まない。佐衛士には興味のないものでも、祖母にとっては一つ一つが思い出なのだ。
――こりゃ来週の休みも遺品整理だな
 佐衛士はババ孝行だと思い、彼女の思い出話に時折は手を止めて耳を傾けた。
 押入れの戸袋から古びた箱が出てきた。開けると海軍時代のものだった。階級章やシガレット・ケース、万年筆などの細々したもの、艦橋前で撮られた集合写真などが入っている。
「これが大伯父さんよ」
 セピア色の集合写真には艦橋をバックにして、前方に整列した士官達、後方の高い艦橋の中ほどや主砲周辺にはその他の乗員がひしめき合って写っていた。全乗員を漏れなく写しこむために人間は豆粒のような大きさで、士官などは揃いの軍服・軍帽でまっすぐに前を見ているものだから、佐衛士にはどの顔も同じに見えたが、祖母は迷わず整列した中の大伯父を指差した。彼女の指先には佐衛士の知らない若い仕官が写っていた。
 目深に被った帽子ではっきりしないが、それでも通った鼻筋、真一文字に引き結ばれた意志の強そうな口元から精悍さが滲みでており、整った容貌であることがわかった。
 佐衛士の記憶に登場した時には、大伯父はすでに老いていた。しかし背が高くて姿勢も良く、白銀となった頭髪を軽く後ろに撫でつけた姿は、往年の男ぶりを想像させるに充分だった。祖母が開く和装・着付け教室の生徒達は大伯父を見かけると、大喜びで喧しかった。
「兄さんは昔からみんなの憧れだったわねえ」
――ああ、また始まったか
 祖母の兄自慢は話し始めると止まらない。今では大伯父の経歴を、佐衛士はすっかり覚えてしまっていた。
 大伯父・西村進一郎は才気煥発で知られた子供で、読書好きでありながら、遊びも大好き。腕白で悪戯も先頭を切って行い、よく大人達を困らせる近所のガキ大将だった。
 尋常小学校終了時、本人は密かに中学進学を希望していたが、家が大工で相応以上の学力は必要ないと考えられた上に、経済的にも中学に通わせる余裕はなく――中学校の授業料は高額で、一般庶民には高嶺の花だった――、高等小学校に進んだ後は父親の跡を継ぐことになっていた。
 しかし、進一郎の悪戯に一番悩まされていたはずの寺の住職がその才を惜しみ、懇意にしていた中学の校長に相談を持ちかけたところ、入学試験時と在学時の成績が三席まで、且つ、卒業後は江田島の海軍兵学校を受験することを条件に特待制度を設けた。当時、海軍兵学校と言えばエリート中のエリートを養成する日本最難関校。そこへの入学者を出すことは、全国どこの中学でも名誉なことであり、有名どころの中学では、その進学率を上げることに躍起になっていたほどだった。
 進一郎は次席で合格した――ちなみに僅差で主席合格したのは同じ町内に住む小谷英治で、進一郎とは幼馴染で親友の仲であった。提灯舗の息子だった彼もまた、薦められて特待枠を受験した秀才だったらしい。
「海軍兵学校も受かったんよ。盆と正月がいっぺんに来たみたいだった」
「そんなにすごいことなの?」
 時々はこうして祖母の話に佐衛士は絡んでやった。一方通行で話をさせるのは、やはり気が引けるのである。
「そうよ、身長や体重に規定があるなぁあたりまえ、視力とか聴力とか、そう言うたもんにも規定があって、それを通って初めて学力試験を受けられるん。学力試験もすごく難しくてねぇ、敵性語の英語もある程度は喋れんとダメだったみたい。お金持ちの坊ちゃん達は今で言う予備校や塾みたいなのに通っとったけど、うちにはそんな余裕はないし、試験が近づくと寝る間を惜しんで勉強しよったわねぇ」
 祖母は懐かしげな目をした。その頃の大伯父のことを思い出しているのだろう。言葉の端々に方言も混ざる。
「休みの日に帰ってくると、そりゃもう町内は大騒ぎで。制服がよう似合うて、おばあちゃん、鼻が高かったわ」
「女の子が押しかけて大変だったろ?」
「そうねぇ、今の時代と違ってそうゆぅことには厳しかったから、うちにまでは来なかったわ。そんでも町を歩くとみんなが振り返って。おばあちゃんのお友達なんか『今度はいつ帰ってくるん?』ってうるそうてね」
 それだけもてたのなら、相手などよりどりみどりだったろうに、どうして大伯父は結婚しなかったのだろうかと佐衛士は思った。本人には聞こうとして聞けなかったことだ。それで祖母に尋ねた。
「じいちゃんはなんで結婚しなかったんだ? 海軍士官でイケメンだったんなら、縁談だって良いの来ただろ?」
 祖母は「そうねえ」と首をかしげた。
「はっきりと聞いたことはないんじゃけど、好きな人はいたみたい」
 終戦前年の十二月に、進一郎は五日間の休暇で勤務先から帰省した。その時に、同じ町内から兵学校出身の海軍士官が出たと言うことで、色々なことに尽力してくれた市議会議員から、縁談が持ち込まれた。
 相手は師範学校出で議員の縁に繋がり、家柄も容姿も申し分ない女性だった。大工の跡を継いでいたら願っても叶わない縁談だと両親は大喜びだったし、世話になった市議の遠縁ともなれば断る理由がない。むしろ、断れないはずだった。
「だけど兄さんはお断りしてくれって。その頃はもう戦況は悪化するばかりで、私らは上が発表することしか知らんから、どれだけひどい状態かわからんかったんだけど、最前線におった兄さんは日本が負け戦しとることを知っとったのね。明日をも知れぬ命じゃけぇって。そんなこと、あの時代じゃ当たり前だったのに」
作品名:相聞歌 作家名:紙森けい