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誘惑の果実

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眠れぬ夜を数えて


そろそろ良い頃合だろうと桃子が女子寮に戻ると、彼女の予想に反して寮は騒がしかった。少女たちに痛めつけられているであろう神無を救出すべく帰還した桃子は、エントランスにたむろする少女たちの興奮気味の言葉から己が目論見が外れたことを悟った。鬼頭が神無を迎えに来た。四季子は失敗したのだろう。思ったよりも使えない女、と侮蔑を込めて舌打ちをした桃子の背に寮監の神経質な声が掛けられた。
「土佐塚さん、職員棟の佐原さんから伝言があるわよ」
ひらりと素っ気無いメモ用紙が手渡される。小さく礼を述べて受け取った。
――急用につき朝霧は職員棟に帰宅致しました。せっかくのご厚意でしたのに申し訳ございません。朝霧も残念がっておりました。今後ともよろしくお付き合いくださいませ。佐原もえぎ
走り書きのメモからは形式的な謝罪以外には何も読み取れない。なぜ神無ではなくもえぎが桃子に伝言を残すのかも分からない。いや、きっと鬼頭が迎えに来て神無には伝言を残すような余裕も無かったのだろう。
蔑ろにされている。
鬼の花嫁としては驚くほど冴えない少女にまで侮りを受けることは許しがたいことだった。ぐしゃりとメモを握り潰しても何の気も治まらない。
自分の部屋の扉を開くとかすかに嗅ぎなれない香りがした。ダイニングに入るとソファカバーが若干乱れていて、ローテーブルには雑誌が散らばっている。先程まで神無がいたことを思い出し、計画が失敗したことを思い出して苛立ちは深まる。神無に食堂の話をして、誘導したことも無意味に終わった。本来ならば食堂で花嫁達に痛めつけられている所を存分に眺めてから、彼女を救い出し、慰めるはずだった。神無の信頼を得つつも甚振ることが出来るはずだった。しかしそれも鬼頭の唐突な登場により失敗に終わったらしい。
「神無は愛されてるね」
吐き捨てるように言った言葉は誰にも届かない。ただ桃子は実感するだけだ。誰からも顧みられないのは自分だけだと。神無さえもが桃子を軽んじる。
桃子は踵を返して再び寮を出た。神無の気配が残る部屋に今夜いることは耐えられそうになかった。


暑くも寒くも無い秋の夜はただひっそりと静まり返っている。職員棟の灯りから遠ざかる様に歩いた。腹立ち紛れに地面を蹴るがざり、とソールが痛んだような音がしただけだった。
無意識に歩いた結果、気が付けば校舎にいた。日々の癖で足が向いてしまったのだろう。施錠されているだろうから入れるわけも無かったが、行く宛ても無い。駄目元でドアノブを掴む。予想外に扉は手応え無く開いた。疑問を抱きつつも、暗い校舎をふらふらと彷徨った。
窓から差し込む月明かりは以外に明るく、廊下を青白く照らしている。時折片隅に消火栓の赤いランプが光っているのを見ながら、気侭に歩いた。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った校舎。桃子に対する侮蔑の言葉も悪意ある視線も今はここに無い。しかしその静けさも桃子の苛立ちを宥めることは無かった。
こつ、こつ、と桃子の足音が響く。
角を曲がったところで桃子はぎくりと身を竦ませた。細く人工的な光が廊下に漏れている。教師だろうかと思い叱責を予感して一瞬立ち止まったが、攻撃的な気分を抱えている桃子はそれに反抗するようにあえて踏み出した。
勢いよく扉を押し開くとともに白い光が目を焼く。
「誰だ!」
鋭い誰何にひゅっと息が詰まる。
急激な光量の変化に耐えられず生理的な涙が浮かぶ視界に影が横切った。目の前に誰かが立つ。
「……お前か」
聞き覚えのある声。急激に回復する視界で真っ先に認識したのは白皙の美貌。つい先日出会ったばかりの鬼は足が竦むような怒りと焦燥を宿してそこにいた。
威圧に逆らうように力を込めて桃子は響を睨み返す。
「何、してるの」
「お前には関係ない。早く出て行け」
この男も自分を蔑ろにするのかと、かっとなった。
「断るわ」
桃子の叛意に響は殺気を込めて桃子の喉元を握った。
貢国一の行方が知れない。彼の軌跡を追おうとするも辿ることが出来ずにいる響はここ数日まともに寝ておらず、神経が尖っていた。このまま桃子の喉を握り潰すことも出来る。鬼の花嫁を惨殺すれば響はただでは済まないだろう。やすやすと殺されるとは思っていないが、それでも暗鬼につけ狙われる中で鬼頭を殺すことは無理となるだろう。不利益は承知で、それでもこの反抗的な女を殺したいと思った。
獰猛な気配に桃子は震える。大きな手はまだ桃子の喉元を圧迫してはいないが、両手で持って外そうとしても指一本動かない。響の親指が当たる、首筋の右側が大きく脈打っているのが分かった。その下には大動脈が通っている。鋼のような手に本能的な恐怖が沸き起こった。
鋭い瞳が桃子を観察するように見詰める。その視線に桃子は恐れから我を取り戻した。吐息は震えるが、それでも恐れを押しやって殺意を撥ね退けるように睨み返す。
「貢国一」
桃子が呟いた名前に響は目を見張る。僅かに手が緩んだその隙に桃子は首から手を引き剥がし、響から遠ざかる様に退いた。しかしそれは扉から遠ざかることでもあった。
「お前の仕業か!?」
叫んでから響は後悔した。この女に国一をどうこうできるような力は無い。そんなことは分かり切っていた。それなのに動揺を顕わにしてしまったことを恥じ、響は桃子を捕まえるべく手を伸ばした。
「なぜお前がその名前を口にする?」
一層冷ややかになった声に桃子は息を飲む。
大した考えがあったわけじゃない。これまで響の傍にいながらも突然姿を見せなくなった国一の存在は明らかに不自然だっただけだ。思い付きにすぎない。しかしそこにこそ響の苛立ちの原因がある予感があった。実際それは的を射ていたのだろう。そうでなければ響の手が緩むはずもない。
「当て推量」
響はしばらく探る様に桃子を見詰めていたが、やがてその言葉が真実だろうと確信すると疲れたように顔を背けた。
「それほど頭が悪いわけでもないだろうに愚かだな」
「何それ」
「無謀と言っても良い」
一瞬でも響による死を確信しただろうに、それでも桃子は逆らう。それが響にとっては不可解だった。
「お前は死にたいのか」
唐突な問いに桃子は怪訝そうに響を見返し、やがて苦虫を潰したような表情を浮かべた。
「そんなわけじゃない」
生きていることに何の意味も見出せないだけだった。家族は桃子を阻害することでその結束を強めている。周囲の人々は下種な欲望で近寄ってくるか、さもなければ理不尽に男の気を引く桃子を蔑むばかりだった。彼等に対して桃子が出来ることと言えば彼らに抵抗することだけだった。そんな桃子がここまで生きてこれたのは一重に庇護翼の存在ゆえだった。しかしその存在こそが最も桃子にとって耐え難かった。彼の注ぐ憐れみが一番堪えた。醜い花嫁を憐れむ彼の眼差しが桃子の矜持を最も傷付けた。それを僻みという人もいるだろう。それでも桃子は嫌悪も憎悪も侮蔑も憐憫もすべて振り払うことでしか立っていられなかったのだ。
響に殺されたいわけではない。それでも桃子が彼に無謀な振舞をするのは、ただ響の強大な力に抗いたいその一心だった。それだけが彼女のすべてだった。
再び桃子を掴もうとする響の手をがむしゃらに振り払う。がり、と嫌な感触がした。
作品名:誘惑の果実 作家名:萱野