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茅山道士 楽園のきみに

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それは、いくつになっても夢見るような眼差しをしている。まるで、遠いどこかが見渡せるように、焦点をぼかしている。穏やかで、春の陽だまりのようにやさしい微笑みを口元に浮かべ、庭に目を遣っている。
「麟、ぼけっとしていないで、街市にでも繰り出せばどうだ?」
 聞こえていない。ぼんやりと庭に顔は向けたままだ。五年の修業から戻って、まだ数日のことだ。ゆっくりと身体を休めろと申し渡したが、ボケろとは言っていない。近付いて声をかけようと足を進めたら、振り向いた。
「なにか?」
「疲れているのか?」
「いえ、ちょっと・・・・思い出していただけです。五年前に、ここを出る時は、何も考えられなかったけど。」
 突然に降って湧いたように現れて、師匠の術を譲り受けてしまった青年は、五年で、どうにか術を身につけた。麒麟送子と呼ばれる目出度い誕生をしたはずの青年は、どこでどう間違ったのか江に身を沈めた。それを拾いあげ、蘇生させたのが先代だ。
「長かったか?」
「どうでしょう。私にはわかりません。」
 緑青にしてみれば、懐かしい我が家への五年ぶりの帰宅だ。しかし、麟にとっては、懐かしい場所ではない。彼にとっては生き返った場所でしかない。かける言葉がみつからなくて、黙って踵を返した。帰る家は失われたものにとって、ここはどうなんだろう。できれば、いいところだと思ってもらいたい。楽園とまではいかなくても、せめて故郷にしてほしい。

「緑青兄、麟のことなんですが・・・どう扱えばよいのですか?」
 道観の責任者だった子夏が、自分の許を訪れた。責任者の任は、もちろん、緑青が戻った時点で緑青のものとなったが、道観全体の差配は、やはり子夏の責任だ。さすがに、どう扱うのがよいのか考えあぐねたらしい。
「別に、戚と同じでいいだろう。麟のほうが幾分か年下だ。」
「ですが、先代の・・・本来なら麟は・・」
「馬鹿者。そんなわけにはいかない。だいたい、麟は道士としては半人前だ。碌に武術もできないものに、そんな大役は勤まらん。見習いとして扱え。」
 緑青ですら、先代の眼鏡に適った麟が、どのような術を授かったのか知らない。普通ではないと、薄々気づいているが、当人は何も言わない。何かしら秘密めいたものがある。
「あまり気遣いをすると、麟が余計に困るぞ。」
「そりゃ、あなたは五年も麟と旅をしたから、わかっておられるでしょう。ですが、私には麟が計れません。強い力は感じますが・・・それだけです。」
「無口というわけでもないがな。」
「戻ってから、麟が長々と喋っているところなど見たことがありません。」
「ベラベラと五月蝿いのは、おまえだ。いちいち、気を遣って話し掛けたりするな。」
 戻ってからというもの、子夏は何かと話しかけている。和ませてやろうという意図はわかるのだが、麟のほうは返事をするので手一杯の様子だ。どちらかといえば、世話好き、悪く言えばお節介な子夏らしい気遣いではある。
「・・・でも、何をしてやればいいのか、わかりません。」
「何もしなくていい。すぐに、どうとかすることはない。・・・どうせ、麟は、ここに骨を埋めるのだ。」
「親元へ返さないのですか?」
「返さない。それは師匠が決めたからな。」
 帰れないと麟は言った。自分は死んだものと見做されている。そこへ戻ることも躊躇われるし、何より先代は麟に道士として生きよ、と命じた。だから、麟はここに居る。
「緑青兄、お客さんだ。」
 外から戚が走り込んできた。ぐちぐちと小煩い子夏に付き合わずに済むと、緑青は立ち上がった。


「お久しぶりです。緑青殿。」
 玄関に出向いて、緑青は、あっと声をあげた。何度か逢ったことがある。修業の旅の途中で、何度か麟を隠してしまった男だ。
「あなたでしたか・・・麟に御用では?」
「ええ、麟殿にも用はございますが・・・まず、あなた様にお願いがございます。」
 それでは、と奥に招き入れた。相変わらず優雅な態度だ。五年の経過を感じさせない。人間ではない。志怪の類でもない。そういうものだった。
「長い修業の旅、お疲れ様でした。」
「いえ、何かと助けていただいてありがとうございます。また、あなたの主人殿が麟をお召しですか?」
 この男が訪れる時は、そういう用件だ。二度ほど大怪我をした麟を隠された。一度は自分の所為だった。二度目の理由は知らない。ただ、戻ってきた麟が右手に大きな傷を負っていた。何も聞かないで欲しいと、この男が事前に頭を下げにやってきた。だから、見て見ぬ振りをしたのだ。
「・・・まあ、そういうことです。これから、数年に一度は、お願いに上がることになるでしょう。わが主人が、麟さんを殊の外気に入ってしまいまして・・・申し訳ございませんが了承していただきたくお願いに参上いたしました。」
 どこの誰とも言わない。言わないが、神仙界のものだろう。それが麟に何かしら肩入れしてくれている。それについては、緑青も感謝している。そうでなかったら、麟は、ここにすら戻れなかったはずだ。
「それは結構です。どうか、麟を休ませてやってください。お願い申し上げます。」
 落ち着く場所があることは望ましい。何もない麟に、何かあればいいと緑青も思う。たとえ、それがここでなくてもいい。


 知り合いのところに骨休めに帰したと、子夏には説明した。十日と、相手は期限を切ったのだが、それ以上になってもよろしいですと返事はしておいた。しかし、麟は一週間で戻ってきた。
「ゆっくりしてくればよかったんだ。」
 また、庭でぼんやりとしている麟を緑青は詰った。それを見上げて、麟は久しぶりに口元を緩めた。
「人間の私には、あちらは向きません。・・・どうも、楽園などというものには住めない体質らしいです。生きている気がしなくて・・・」
「こらっっ、畏れ多いことじゃないのか?」
「いえ、よくはしていただけるんです。でも・・・街市の賑わいや、お菓子の匂いが懐かしくなりますからね。そう、申し上げたら苦笑されて帰してくださいました。」
 ははは・・と麟は照れ臭そうに見上げている。つられて、緑青も笑ってしまった。俗世がいいと言うのは、人間であるからだ。楽園に住める人間はいないのかもしれない。そこに居られるということは、すでに人間としての何かを捨てているのかもしれない。
「子夏が詮索するだろうが、親戚とでも誤魔化しておけよ。」
「ええ、さっき、戚兄にも、そう言いました。」
「ボケてないで、子夏の仕事でも手伝え。うちは居候を置けるほど裕福な道観じゃないんだからな。」
「ああ、やっとお役目をいただけるんですか。助かった。・・・何もすることがなくて、困っていましたよ、師匠。」
 あ? と緑青は尋ね返した。戻ってから、とにかく、ゆっくりしていろと師匠は言うばかりで何もさせてくれないから困っていたと言う。
「じゃあ、ボケてたのは・・・」
「することがないから、自分が執り行った術を思い返していたんです。鍛練しようとすれば、子夏兄がゆっくりしろ、と叱るし、書物を調べようと思ったら戚兄が頭を使うなとやめさせるし・・・それで、師匠は駄目押しに、休めですからね。」
作品名:茅山道士 楽園のきみに 作家名:篠義