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邑上奈津美
邑上奈津美
novelistID. 24161
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貴殿の御両親が御乱心です 2

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≪貴殿の御両親が御乱心です 2≫

 「二世帯住宅で親と暮らすのは、若さ故のあやまちである…」

 
 私の父は、実の親である祖父母を苦手としている。しかし、どういうわけか約17年間二世帯住宅で暮らしているのだ。その件に関して父は「若さ故のあやまちだ」と言っていた。母は「長男なんだから、戻って来いって言ったのよ。もちろん断ったけど、余りにもしつこくてイヤになってOKしちゃったの…」
 そんなわけで今現在も二世帯住宅ライフは続行中である。幸いなのは、玄関は別々で家の中も繋がっていないことだ。1階と2階半分が祖父母の住まい、2階半分と3階が私たち家族の住まいである。
 文化の違う人間が同じ敷地内で生活するのだから、まあトラブルはあった。ゴミの出し方や、花に水をやる方法など。祖父には「俺流」のやり方があるらしく、それからはみ出すと小言を言いにやって来るのだ。
 ちなみに叔父家族もナナメ向かいに住んでおり、それなりに交流があった。いとこ達が小さかった頃は子守りもした。

 少々問題がありながらも平和だった生活の雲行きが怪しくなったのは3年前…


 祖母に認知症の初期症状が表れ、我が家に助けを求めてきたのだ。祖母は「おばあちゃん呆けてきちゃったの、だから色々助けてね。」
 たとえ苦手だろうが身内だし、助けを求められると応えずにはいられないのが母・佳代。そのDANを半分受け継いでいる私と弟。後々このDNAを呪うことになろうとは…

 
 「年を取ると性格が悪くなる…」と言うような話を聞いたことがあるだろうか。認知症の症状に、「理性や抑制心の働きを鈍くさせる」というものがあるため、あながち間違ってはいない。この症状、ある意味認知症の中では最も恐ろしい症状ではないかと私は思っている。
 「理性や抑制心が無い」ということは、「素」が出るということだ。分かりやすく言ってしまえば、「素」が良い人なら理性や抑制心が無くても良い人、つまり「呆けても好かれるおじいちゃん・おばあちゃん」なのだ。「素」が悪人…良い人とは言いがたい人だと、理性や抑制心を失った瞬間に、隠されていた本性が表れ「意地悪じいさん・ばあさん」という称号を得ることとなる。
 
 今は亡き母方の祖母・鈴は、口は悪いが根は優しい人だった。認知症になり、親族で話し合った上、伯母の家から近い施設に入所させることとなった。
 最終的には、今いる場所も、子どもや孫のことも何一つ分からなくなってしまったが、それでも、笑顔とお礼を言うことだけは絶対に忘れなかった。
 私達が会いに行けば、誰だかっていないけど笑顔で迎えてくれたし、施設の職員さんたちには「いつもありがとうねぇ。何か手伝うことないかい?」と声を掛けながら施設内を散歩していた。
 そんな母方の祖母・鈴は親族はもちろん、施設の職員さんにも非常に好かれていた。職員さんたちが、「私、鈴さんみたいに年を取りたいわ。絶対に笑顔と感謝の気持ちは忘れたくないもの。」と言ってくれたことは、私達にとって本当に嬉しいことだった。
 亡くなったときも、娘・孫・ひ孫に囲まれながら眠るように息を引き取った。その日、非番の職員さんもわざわざ来てくれたりと、幸せな最期だった。
 人間生き方も大事だが、死に方も同じくらい大事かもしれない。

 「呆けても好かれるおばあちゃん」だった鈴に対して、なんとも対照的なのが父方の祖父母。理性と抑制心を失った祖母・光子は、外面がはがれ酷く自己中心的になり、祖父・忠雄は気に入らないことがあると、誰彼構わず怒鳴り、物を破戒するようになった。

 もちろん、初期症状の段階で、認知症の症状を遅らせる薬を処方してもらったり、近所の介護老人ホームの交流デイサービスに行くように働きかけたりした。しかし、結局本人たちにやる気がなかったのだ。
 祖母も祖父も「呆けた」と言いながら本心では認めておらず、デイサービスに行くのも近所で噂になったら恥ずかしいと、行きたがらなかった。行政のほうからも、話し相手&掃除を手伝ってくれるヘルパーさんを派遣してもらったが、他人に家に入られたくないと勝手に止めさせたり…
 
 母は家計簿が合わないと呼び出され、酷いときには半日以上拘束さた。お金が合わないことにイラつく祖母と、他人が家にいることで機嫌が悪い祖父に挟まれ、ぐったりしながら帰って来ることもしばしば。私や弟が家にいるときは、呼び出されて1時間経っても帰ってこなかった時点で、直ぐに救出に行った。

 そんな生活が1年半近く続いたある日、祖父母が更なる問題を引っさげやって来るのだった。