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白い写真に抹茶が零れて

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さくら。ひらひらと舞い落ちて灰色のアスファルトに水玉を作る。
 古時計のような学校にまっさらな白がつもる。
 青いスリッパで踏むのが少し、ためらわれた。
 中学校よりも校舎が少しだけ大きく、見えた。
 入学式は7日に終わった。健康診断とオリエンテーションは8日に終わった。今日は初めての授業だった。といっても先生たちがにこやかに自己紹介をして1時間つぶしたり生徒に3度目の自己紹介をさせて1時間つぶしたり心構えをとうとうと述べて1時間つぶしたりで、中学生の受験知識を詰めこんだ頭は春休みで退化していてまだ高校生の知識がかけらも詰まっていない。
 それでも放課後はいっぱしに嬉しい。
 何よりもクラスメイトで窒息しそうな教室から逃れられたから。あいまいな笑顔を浮かべた腹の探り合い。別に彼らが嫌いなわけじゃなくて、自分のキャパシティなんて分かってないけれどとにかく何かが出来ると信じているような、大人ならそれを希望と呼んで美しいというようなものを発することも許せるけれど、そうじゃなくてその空気にのまれてソワソワする自分が嫌だった。
 外に出ればとりあえず忘れられる。だから息を吸う。
 さて。
 どう足掻いたとしても、僕は高校1年生。まっさらピカピカとか言われる4月の新入生に他ならない。とするとなれば、放課後にすることは限られてくる。
 昨日、いわゆる部活紹介というものが行われた。講堂に集められた新入生は、野球部の素振りや吹奏楽部のホルンや落語研究会の謎かけなどを次々と見せられた。「部活紹介」という何のひねりもないタイトルの冊子も配られ活動時間や活動場所が手書きのイラストとともに掲載されている。
 これを手にして。
 今日あたりから、自分の居場所とかいう気色悪い言葉のものを見つけなければならない。なぜならば今日を過ぎれば僕はたぶん、3年間の授業後から寝るまでの約8時間を刺激なく過ごす。なぜならば逃げてしまえることからは逃げてしまって見ないふりをする性格だから。本を読んだり勉強をしたりすることはいいにしても外聞も悪く入試には使えず就職活動でも不利をこうむる可能性がなくはないかもしれないしやはり、何かと不便なことは間違いないはず。だった。
 なので。
 僕は探したくもない生物室を探していた。分かりやすいことこの上もないが生物部の活動場所である。地味でおとなしい人が多そうな割にさほど暗そうなイメージがないというのが理由だった。そんなことを考える自分が一番暗い気がするとか、そういうことはまだ考えていなかった。
 学校には標識というものがない。学内案内図はなくはないらしいがそれがどこにあるかが分からない。方向音痴以前の問題としてどこへ向かえばいいのか分からない。
 と思ったから適当に歩いていた。ざくざくと砂利を踏んで。
 正門から見えるところにはこの学校はお金をかけていて、校舎もタイルのようなものを貼ってあるらしく綺麗だ。裏の壁なんか黄ばんだ上に正体不明の黒い液が垂れた跡がある。きっと色々な意味でそういう学校なのだろう。
 そういう無意味なことを考えて気を滅入らせていたら。
「あの、お茶でも飲んでいきませんか?」
 高い声が聞こえて、僕はびくんと動揺した。
 いやでも学校だし、ましてや僕だし、だけど周りに人がいる様子はないし。と、恐る恐る振り向いたら、浴衣姿の女の子がほほ笑んでいた。
「お菓子も、今日はただで食べられますよ」
 差し出された藁半紙を受け取って、僕はああ、と声を上げた。
 毛筆で書かれた『茶道部』の文字。必要事項だけが記されたそれは、手書きのイラストに溢れた、他の部活のビラとはまるで違う。渋い。
「桜餅を買ってきたんだけど、なかなか人が来なくてね。あ、こっちこっち。若竹会館っていうところでやってるんだけど、まだ来たことないよね?」
「あ…はい」
 そう言って彼女は背を向けて歩きだす。ついて来いということらしい。
 一瞬迷って、立ち止って、僕はついていく。
 抗いもしなかったのは、彼女に惹かれたから、とかではなくて単に僕がヘタレで、彼女にまともに断り文句を切り出すのが恥ずかしかったからという、それだけの理由だった。

若竹会館に他の部員がいるかと思ったらいなかった。僕は2階の部室に案内され、彼女はにこにこ笑いながらお茶の準備をし始めた。
「お茶やったこととかないよね?じゃあ作法とかちゃんとやると余計緊張すると思うから今日は作法とかすっ飛ばしてやわらかーくやらせてもらうね。活動は週に3回で月・水・金。金曜日は先生が来てくれてお稽古をつけてもらうの。あとは自主練。部費は月500円。生徒会からお金出るからほんとはなくてもやっていけるんだけど、お菓子とか買うし一応もらう決まりになってる。金曜日はちゃんとしたお菓子出すからそれでもすごく安いよ。あ、でもお金かかるから濃茶はしないかな。今点ててるのも薄茶。懐紙と楊枝と袱紗と扇子は最終的には買ってもらうことになるけど、しばらくは先輩が置いて行ってくれたのがあるし大丈夫」
お菓子を出しながら道具の準備をしながらこれだけを一気にまくし立てられたが後半から意味がわからない。薄茶と濃茶は響きからなんとなく想像できるとして扇子もいいとして懐紙はぎりぎりなんとかイメージで楊枝はおじさんシーハー爪楊枝じゃなさそうだよね?で袱紗なんて最高に分からない。
でも黙った。 
お茶を用意する狭川さやかの横顔がぴんと張りつめていたから。
しばし。
不意打ちで張りつめた空気の中で、お茶を点てるささやかな音と自分の呼吸を感じる。悪くない。
「あ、お菓子食べていいんだよ」
「え、あ…はい」
空気を壊したのは狭川さやかの方だった。
桜餅は普通においしかった。餡子の甘さが口の中で崩れて、でも口の中に甘味が残りすぎて、少しだけ後味が悪い。
「よし」
そうこうしている間に、狭川さやかが呟いた。ど素人の僕から見てもそんなふうに独り言を言うのは作法ではないと思うけれど、とりあえず本人の区切りはついたらしい。
「じゃあ、そこの、畳の目の前…違う違う…いや、まぁ、いいか正座なら。1回お辞儀して、お茶碗を手前に2回まわして、あとは好きに飲んでください。今日はお茶とお菓子の美味しさを知ってもらおうってことだから、何も気にせず味を楽しんで」
出されたのは、ぽってりとした厚手の茶碗で、中には泡立った薄緑色の液体が静かに在った。慎重に茶碗を持ち上げて傾けると、思っていたよりもあっけなく温かい液体が口に流れ込んでくる。
「思ってたより、苦くないんですね」
「薄茶だからね。あ、ほんとに全然、飲んだことない?」
「抹茶オーレとか、グリーンティーは小さい頃よく飲みましたけど」
飲み終わってみると、先ほどまで感じていた桜餅の甘みが口の中から綺麗に消えて、抹茶の香りだけが感じられるようになっていた。
なるほど。
「いかがでしたか?」
「美味しかったです」
「よかった」
彼女の顔が緩んだ。口の中でほろほろ溶けた餡子みたいに。 
それは案外良い光景だった。
狭川さやかは美人ではない。細い目は少しつり気味だし、唇も薄くて全体的に幸が薄そうな感じのただの色白な女子生徒だ。
だから当然だけど、単に見た目が美しかったとかそういうことではない。