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小さな鍵と記憶の言葉

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第8章


8 女王様の硝子王冠  “The Queen's quarts crown”

 
「あ」

 窓の外に視線が奪われる。
 廊下の途中から見上げた、雲の隙間。その先に輝く太陽。あんなに眩しいのはとても久しぶりな気がする。春に似た温かさの、安堵を憶える日差し。耳を澄ませば賑やかな鳥の声が聞こえてくる。
 眺めていられたのはほんの数秒だった。歌でも歌いたくなるような陽気さをたちまち雲が支配して、また花曇りに逆戻りだ。

「あたたかかったのにな」
 小さく溢してふたたび足を進める。その、数歩先に今度は別の影。
「リラ?」
 危うく正面衝突を避けることが出来たのは、相手の注意力の鋭さと職業柄養われたフットワークの賜物だった。私はあまつさえ軽く肩を押し留められてやっと足を止める。
「ごめんなさい、ダミアン」
 慌てて見上げる彼の微笑みの優しさ。次いで、自分が握っていたはずのそれが無事かどうかを確かめる。
 右手で掴んでいたのは蝋で封がされたクリーム色の封筒。童話の中でしかお目にかからないようなそのアイテムは、この城では日常的に使われているものだった。
「この廊下でお目にかかるのは珍しいですね。散歩ですか?」
「違うの、お使いよ。フィンのね」
「白兎の?」
 ぱちぱちと瞬く彼の瞳。怪訝そうなのも無理はない。まさかアリスが城内でお使いなんて奇妙な話だ。しかも出元が、アリスに仕える白兎からの言い付けだというのだから。
 実は最近は、白兎に簡単な仕事を手伝わせてもらっている。といっても書類を閉じたりこうして封書を届けたり程度の本当に小間使いなのだけれど。
 勿論白兎だって最初は良い顔をしなかった。けれど、始終付きまとわれるよりはるかにマシだと考えたのかもしれない。不服そうな瞳の色は変わらないけれど、やるなとも不必要だとも口を挟まない。
「それでソフィーナの、クイーンの所へ行くんだけど……女王の間はこっちで合ってたよね?」
 三月兎の顔色が曇る。それから何か思い悩み、やっと声を発してくれた。
 なにか、とても言い難そうな顔をして。
「女王の間は、東塔にあります」
 そんな訂正を、南塔の中央で教えてくれる。
「……ええと」
 自分の迷子っぷりに閉口しながら、それでも穏やかに微笑んでくれる三月兎に救われる思いがした。懇切丁寧に、ここからの道順と道しるべをひとつひとつ教えてくれる。
「本当はご案内することが出来れば宜しいのですが……」
 少しだけ残念そうに(というか、心配そうに)私を見詰める。
「だ、大丈夫だよ」
「しかし――ああ、《ジャック》」

 その呼び名に、一瞬だけ肩が揺れる。
 ダミアンの視線の先、私の背後。大理石の廊下の角を、肩当てと徽章をつけた人影が過ぎる。
 金色の三徽章、腰には大剣。耳の隠れる濃灰色の髪。それに、燃えるような深い瞳。
 三月兎に呼び止められて、騎士は静かに立ち止まる。

「今は巡回中ですね。アリスを女王の間までお連れ差し上げてください」
「はい」
「え、でも、悪いよ」
 慌ててダミアンを振り仰ぐ。そうすれば待ちかねたように小さく振り返される横顔。
「いえ。すぐ暗くなってしまいますから」
 では頼みました、と、執事長が私達を見送る。
 遠ざかっていく彼の微笑み。ぐいぐいと進んでいく騎士。私は仕方なく彼の後ろを追いかけた。

 無言。広い廊下に響くのは足音だけ。
 隣り合って歩いているのに、相手は一言も声を発しない。それどころか先刻廊下で出会ってから今までの一度も私を見ようとしない。歩幅だけはどうやら合わせてくれているようで、苦しい感じはしなかった。
 『セレス』。そっと、その横顔を盗み見る。この人との会話は、この前の女王の間の外で会った瞬間以外に交わしていなかった。時々廊下や窓の下でカードに指示を出しているのは見るけれど、私とのやりとりは全くない。
 そのせいもあるかもしれないけれど、やっぱりジャックを見れば、あの言葉ばかりが反響する。

 ――『アリスなど務まるものか』。

 彼の独り言だったのか、小さな抵抗だったのか。
 そんなことは本人が、一番よく知ってる。

 セレスが立ち止まったのに気付いて、慌てて顔を上げる。考え事をしていたせいか、あっという間に女王の間まで辿り着いていた。騎士は簡潔に敬礼をして背を向けた。再び廊下の反対側を目指して歩いて行く、訓練された足早な後姿。腰に下げた剣の音ひとつ立てないままにどんどんと遠ざかって行ってしまう。
「あ――ありがとう!」
 せめてもの気持ちを言葉へと変える。けれど残念なことに、その背中には一瞬の反応も見られなかった。