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小さな鍵と記憶の言葉

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第1章


1 導かれて落ちる先 “Land the Wonderland”


 初秋の空は眩しいくらいに透き通っていた。
 新しい教室にも環境にもすっかり馴染んで、周りを見渡す余裕溢れる10月の放課後。遠くで聞こえる掛け声、響くバットの音。そんな賑やかで少し淋しい廊下を私は歩いていた。
 右手には楽器ケース。空いた手には楽譜。
 私が自信を持って持ち歩けるのは、たったこれだけ。
 今日はどこで練習しようか。ぼんやりと窓の外に意識をやっていたとき、向こう側からやってきた少女が私を見て笑顔を浮かべた。

「あ、いたいた、如月部長――」
 軽く振られる右手、少しだけ早足になる歩幅。それから向けられる意志の強い瞳。私が『どうしたの』と尋ねる前に彼女が言った。
「明日始める新曲ですけど、スコアが足りないんです。誰が配ってるか知ってます?」
「それなら弓川さんが纏めてるよ。さっき通りかかったら印刷室で必死になってたけど」
「そっか。よかった、助かります」
 ふっと安堵の息を漏らす後輩に、私はほんの少し困って笑う。
「というか、だから私は部長じゃないって」
 なるべく冗談に聞こえるように訂正する。けれど後輩の眼差しは真剣だった。そして、『じゃあ、次期部長ですね』と笑う。
「他に適任なんていないですよ。如月先輩ならしっかりしてるし、視界広いし、安心して任せられます」
 太鼓判押しますよ、言って胸を張る。
 その様子に胸の奥で何かが縮んでいく。
 じくじくと、まるで放り出された風船のように。

「そんなことないよ。私、そういうの苦手だから」
「大丈夫ですって」
 部長選任会、絶対先輩に投票しますから。
 笑いながら彼女は去っていった。
 その後姿が見えなくなったあとも、作り出した笑みが顔から剥がれなかった。

 本当は覚悟がないんだ。
 ううん、覚悟ならある。私一人がダメになる覚悟なら持っている。ただ、私ひとりのせいで『誰か』の生き方を狂わせる、そんな覚悟がない。
 自分だけが溺れるなら、目を閉じて受け入れられる。けれど誰かの上に立つということはそうじゃない。私が用意した船に乗る誰かが、溺れるかもしれないという可能性が怖い。
 たとえ足のつく浅瀬でも。
 私ではないほかの誰かの船だったら、水を被ることさえなかったかもしれないのに。

 そう、『度胸』がないだけ。

 だから、私はひとり。
 一人のふりをする。独りで立っていられるふりをする。