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夢幻堂

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第七章 魚の種に玻璃の金魚鉢


 ゆうらり、ゆらり。
 窓辺に置かれた金魚鉢。やわらかな|陽光《ひかり》が透明な水をきらめかせ、泳ぐ魚に合わせてゆらんと揺らめく。
 まるく象られた硝子の鉢。見える景色は大きく歪み、世界を正しく映しはしない。
 この小さな世界から抜け出せたなら、どこへ行こうか?

 ゆらゆら、ゆらゆら。

 同じように揺らめいているだろうか。降り注がんばかりの|陽光《ひかり》を受けて、ときおり用意された藻と戯れながら生きるいまと。
(ああ、でも外の世界には水がない?)
 そう、どんなに抗ったって所詮水がなければ生きてはいられないのだった。くるりと水の中を回ってしょんぼりする。しばらく、ぐるぐると狭い金魚鉢を行ったり来たりしてふと思い出した。そう言えば聞いた気がする。大きな大きな"水"がある場所を。
 次に生まれ変われるなら、きっとそこへ行きたい。
(うみ、に)


「───っていうわけで、次に生まれるならオイラは海に行きたいッス!」
 気怠い午後の雰囲気にも似た空気を持つ夢幻堂でうとうと微睡んでいたシオンは、なにやらさっきから意味不明な事を熱弁している声が気になって目を開けた。で、目の前の珍しいお客に驚いて思わず叫ぶ。
「…………魚ぁ!?」
 その素っ頓狂な声に気付かないわけもなく、こちらを向いたそのお客はシオンの姿を見るや否やわたわたと慌てる。
「ひぃぃぃぃ|猫《テキ》が!」
「誰が敵だ!」
「だだだだって猫って言ったらオイラたちの天敵ッス! しっぽを揺らしながらその鋭いツメでがっとオイラたちを……ひぃぃ」
 硝子の金魚鉢に入った朱い金魚は、がたがたと身体を震わせ(た、かどうかはシオンにはよく分からなかったが)悲痛に叫んだ。声が水の中から聞こえるから若干くぐもって聞き取りにくい。
「俺は猫じゃねぇ!」
 と反論するが、いまのシオンは立派な黒猫姿。しかも獲物を狙うかのようにしっぽをゆらんと揺らし、目つきは鋭く耳もぺたんとしている。明らかに狩猟するときの猫の姿だ、間違いなく。猫の姿のときは猫になりきろうとでも思っているのだろうか、と口出ししようか迷っているカンナはぼんやり思った。
「どう見たって猫じゃないッスかー!」
「………シオン、自分がいま黒猫姿だって分かってる?」
 呆れ顔のカンナに突っ込まれ、シオンはようやく自分がいまもとの姿ではないことに気付く。どちらの姿でもあまり疲れないから、ふとしたときにいま自分がどちらなのか分からなくなるのだ。
「悪かったな、魚」
 するりともとの姿に戻ると、金魚鉢の近くに行って覗き込んだ。
「魚ってそりゃちょっとひどいッスよ、あんさん」
「ってったって魚だろ? 喋れんのはまぁこの場所だからべつに驚きはしないけど」
「オイラにも名前くらいあるッス。"デメキン"っていうのが!」
 名前は名前でもそれは種類の名前だ。……とはカンナには言えなかった。シオンはふぅんと呟いたからきっとそれが名前だと思ったに違いない。生い立ちなのか、過去の記憶を失くしているからか、シオンは時々普通は知っているであろうことを知らなかったりするのだ。
 と一人で納得していたら、つんつんとシオンがカンナの髪をひっぱって耳打ちする。
「………なぁ、カンナ。デメキンって名前じゃなくて種類のことじゃないのか?」
「あ、なんだ。知ってたのね。ふぅんって言ってたから知らないのかと思ったわ」
「なんでだよ。それくらい知ってるっつーの」
 二人してこそこそと話していたら、なにやら視線を感じて顔を横に向ける。丸い金魚鉢のギリギリまでそばに来て、その金魚がじとっと見つめていた。シオンたちから見たら金魚が横太りしているように見える。ということはきっと金魚のほうも歪んで見えているに違いないが、ブレもせずにシオンとカンナを見ていた。
「二人してコソコソとずるいッス。オイラも混ぜてほしいッス」
 さてどうしたものか、とシオンとカンナは顔を見合わせる。真実を言ってもいいのだろうが、それで落ち込まれたら罪悪感が免れない。
「いいわ、シオン。私が伝えるから」
「けど」
「大丈夫よ、多分ね。あの魂はとても強いから」
「強いって打たれ強いって意味で?」
「まぁそうとも取れるけど」
 そう言いながらカンナは"デメキン"と名乗った魚に視線を戻す。
「あなたの名乗った名前は、あなたの種類であって、あなた個体の名前ではないの」
「どういうことッスか? オイラの名前は他にあるってことッスか?」
「ええ……そうね、他に呼ばれていた名前はなにかあったかしら?」
「他、ッスか。………とくには思い浮かばないッスねぇ。はっ、てことはオイラの名前はなかったってことッスか!」
 がぁん、と声に出しながら金魚鉢の中でしょんぼりうなだれる。けれどすぐにくるくると泳ぎだして、ぱちゃんと元気よく跳ねた。
「まぁしょうがいないッス。しょせん、オイラはご主人にかわれて長生きさせてもらったッスから」
「買われて? 飼われて?」
「どっちもッスよ。しかもオイラは裕福なご主人にもらわれたから、他の仲間よりずっといい思いしてきたッス」
 シオンの突っ込みに、名前がなかったことのショックはどこへやら、へらっと笑って明るい声でそう返した。ゆらゆら揺れる水面がとても気持ち良さそうだった。
「ふぅん。じゃあさ、カンナに付けてもらえば?」
「夢幻堂の店主さんにっスか? そんな畏れ多いこと頼めないッス!」
 畏れ多いなんて言葉をどこで知ったのか。案外語彙力豊富な金魚に感心しながら、シオンはちらりとソファに座って自分たちのやりとりを見ていたカンナを見やった。
「付けるのはいいけれど、ここから去ってしまえば名前なんてまたなくなってしまうのよ? それでも欲しいというなら、私はあなたに名前をあげるわ」
 まっすぐに朱い金魚を見つめ、そう問いかけた。くるくると金魚鉢の中を回りながら泳いでいた彼は、店主の言葉に逡巡してぴたりと動きを止める。
「…………あんさんの言葉はありがたいッスけど……|名前《それ》がなくてもオイラは生きていける気がするッスよ。夜のお祭りのせまくて浅い水槽の中にいるときもオイラには名前なんかなくて、そのまま死んでいくんだと思っていたらそこからすくいだしてくれたご主人がいて、こんな立派な金魚鉢に入れてもらって十分幸せだったんス。名前はなくてもオイラはオイラだったし、次に生まれ変わって海に行けたらそれだけでラッキーな人生ッスよ!」
 魚生じゃないのか、と突っ込みたくなるのをシオンは何とかこらえる。なんとなく、その金魚が強い理由が分かった気がしたから。望みを多く持たず、そのままの自分でいればいいと言いきることが難しいことくらいシオンにも分かる。自分だって何も望んでいないと思っていたけれど、カンナに救われてからそうじゃないと知った。過去の自分を、いまはまだおぼろげにも思い出せはしないけれど、忘れるくらいなら逃げたいと思ったはずだった。この金魚のように、ふりかかってくる運命を丸ごと受けとめるなんてことはきっとできない。
「そうね、そう言うと思ったの。あなたなら。……海へ行きたいのね? 約束はできないけれど、神様に伝えることはできるわ。ただ、代償が必要よ」
作品名:夢幻堂 作家名:深月