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逃げて追いかけた、その後は?

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03:楽園へはいけない


『だからまだ早いって言ったんだよ』
溜息交じりで静雄の古くからの友人は携帯電話越しにそう告げた。その声音はまるで臨也がどんな反応を示したのか静雄の傍らで見ていたように全てを悟った雰囲気を滲ませている。思わず盗聴器を仕込んでいるのかと聞きたくなるが、かの友人が自分にそんなものをつけない事を静雄はよく知っていた。彼が執着するのは、唯一人の女性だけだ。その他はどうでもいいと本人が公言している程に、電話の向こうにいる男は件の女性に傾倒している。
『で、君はどうするつもりだい?臨也は頑固だから、中々認めようとはしないと思うよ?』
「そんな事言われるまでもねえ……新羅、二、三、頼みがある」
『報酬は、君の血液を検査容器に一本…いや二本か三本か、提供してくれるなら考えてあげなくもない』
「乗った。その程度で済むなら安い」
はっきりと告げると、電話の向こうで「……あー初めからこうしておけば簡単に手に入ったのか」と呟く新羅の声が聞こえてくる。静雄はそれに対して一々怒る様な事はしなかった。静雄にとっての現在の優先順位は新羅に対して怒る事ではなく、臨也に向けて先手を打つ事だ。その為には新羅という存在が必要不可欠である。新羅が静雄側にいれば、彼を介して臨也が手を伸ばしそうな相手にも先手を打つ事が出来る。それは今まで静雄が考えた事のない発想だ。いつもならすぐに追いかけて怒鳴り散らし追いかけていた事だろう。だが、彼は気づいてしまった。そして受け入れてしまった。
「新羅、手前の家にノミ蟲が来たら、絶対に要求を飲むな。どんなものでも飲むな。あと、あいつが行きそうな人間にも同じ事を言って欲しい」
『静雄にしては随分と回りくどいやり方をするんだね。まるで臨也みたいだよ』
そう言われた瞬間、ピシリと携帯電話が悲鳴を上げた。慌てて力を抜いて携帯を見てみると、亀裂が幾重にも走っている。またやってしまったと思っていると携帯電話から新羅の声が聞こえてきた。
『怒らなくてもいいだろう?だって、今の君の行動は臨也と酷くよく似ているよ。本人に直接ではなく、外掘りを埋めていくところがさ』
「……新羅」
『分かってる。僕も君に喧嘩を売る程馬鹿じゃない。滅多にない君の頼みだ、さっきの件は了解したよ』
その言葉を最後に静雄は携帯電話の通話終了のボタンを押した。先手は一つ打った。だが、これで終わりだとは思わない。臨也はどんな手を使ってでも逃げようとするだろう。静雄は壊れかけた携帯をポケットの中に押し込み、ゆっくりと歩き出した。その方向は、自宅の方ではなく、臨也が走り去った方向だ。
(手前もいい加減認めちまえばいいんだ)
一歩一歩ゆっくりと歩きながら、静雄はそう思った。
自分のしたことは、己と臨也の間にある関係に亀裂を入れる事だ。
しかし、その関係は臨也が永続を望んでいたものだった。無論、静雄はその事に気付いていた。何故なら、本当に死んで欲しいと願うのなら何をしてでも殺すような面を臨也は持っているからだ。それなのに臨也は口で死ねと豪語しながらも、それをいつも実行できないでいる。幾つもの策略の中で一度たりとも彼の言葉通りにならなかった要因は、人並み外れた力や己の直感もあるのだろう。だが、それ以上に別の者が関係している、と静雄は思った。それは、臨也自身でさえも気づていない、何か。
それを見つけ出す為に、静雄は関係を壊した。

静雄は全て理解していた。
己の考えも臨也の考える事と同じように、自己中心的な考えなのだと。
それでも、知りたかったのだ。
臨也の中にあるものが己と同じであれば、あるいは――という淡い願いがある故に。