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守人たちの村

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ある日の夕暮れのこと。その父子は丘地の麓に立っていた。やがて月が、東の平原から姿を現した。今宵は上弦の月。月はやさしく、白銀の光を放つ。
「あ、お月さんだ」幼いヨーランは言った。「月って、なんであんなに大きいのかなあ? ほかの星は小さいのに」
 その問いかけに父のロザクは答えた。
「月はな、この世界に最も近いんだ。だから大きく見える。……そうさなあ。ほとんどの人間は、死んだらあの月に行くんだ。そこからさらに死者の世界に行って魂の安息を得る」
「父さんも、いつかはそこに行っちゃうの?」
「ああ」ロザクは答えた。「父さんも母さんも、そしてお前も。みんな月の向こうに行くんだ」
「ぼくはこの村が好きなのに、ずっといられないの?」
 ロザクは首を縦に振った。じわりとヨーランの両目から涙がこぼれ、彼はしゃくりはじめた。ヨーランは優しい子だ。ロザクはその頭を撫でてやるのだった。
 ――この村ではそんな日もあった。

 * * *

 りん、ごーんと。鐘の音が朗々と鳴った。やがて二重、三重と鐘の音は重なりゆき、美しい和音を周囲に響かせていく。これは朝を告げる刻の合図。村に住む人々は鐘の音によって一日の営みを始めるのだ。
 農園へと向かう村人は、鐘が鳴っていた方角を見つめる。今日の村は濃い朝もやに包まれているものの、白く高い鐘楼の塔とその赤い屋根は朝日を受け、映える。村で一番高くそびえる美しい塔。都会から離れ、商人も旅人も近づかない、このへんぴで閉鎖された村において、あの家の立派な建築様式はひどく浮いてすら見える。長い年月に渡り、鐘はこの地にあって時を告げてきた。そしてあの建物を、村人たちは“鐘の家”と呼び習わしていた。
 今からさかのぼること千年以上昔となろうか。平地から続く丘地には、今は亡きイクリーク王朝軍の駐屯地があり、この平地には町が形成され、それなりに栄えていたと伝えられている。その後――記録には残されていないが――大きな戦禍により駐屯地はすっかり焼かれてしまったという。王朝軍の兵士たちという客を失ってしまった町もやがて寂れていった。それからずいぶんと歴史は流れたが、町の象徴とされた鐘の家は今なお維持されているのだ。

 ロザクは朝一番の鐘を鳴らし終えた後、塔の最上階から内壁の狭い階段をこつこつと靴音を鳴らして降りていった。ロザクは“守人《モリビト》”。朝一番の時を告げ、それから一刻ごとに鐘を鳴らし、そして一日の終わりを知らせるのが仕事だ。
 鐘の家の一階は守人の住居となっている。守人はロザクのほかにもう一人いるが、彼は住まいを別に構えており、家に住んでいるのはロザクの家族だけだった。小さな石材を巧みに組み合わせたイクリーク様式の影響が色濃く現れている住まいは小さいながらも、鐘の家を建てた人間の持つ芸術性がそこかしこに見てとれる、素晴らしい出来栄えとなっている。
 だが住居の豪奢さとは裏腹に、彼ら守人たちの生活は質素なものだ。仕事の報酬は村長からもらっているが、その額は農園で働く村人たちと大差ない。しかしロザクは不平を露わにしたことなどない。なぜならば、時を告げる守人は村になくてはならない存在だから。ゆえに彼は自らの職務について誇りをもって臨んでいるのだ。

 塔の階段を降りきって、家へと繋がっている重い扉を開く。すると、まだ幼い彼の子供が住まいの奥から駆け寄って出迎えた。ひとり息子のヨーランだ。
「おはよう、父さん!」
 ロザクはにこりと笑って、寝ぐせのついた息子の頭をくしゃくしゃと撫でてやるのだった。
 ロザクは妻とヨーランとで小さな卓を囲み、朝食をとる。いつもの朝の風景だ。そしてヨーランが舌足らずな声で父に尋ねてきた。
「ねえ、なんで父さんは一日に何回も鐘を鳴らすの?」
 最近とみに好奇心旺盛になってきた息子に、父は答える。普段は思慮深く、寡黙なロザク。だが愛しい息子が相手となると話は別だ。穏やかな表情でヨーランに語りかける。
「“刻”を村人全員に教えるためさ」
「こく? 刻ってなんなの?」とヨーラン。
「人間はな、一日の時間をたくさんの刻に分けているんだよ。お前の爺さんの、さらにもっと大昔からそれは続いている。人々は刻が変わればすることが変わる。刻にあわせるようにして生活をしている。仕事を始めたり、昼飯を食べたりとな。その大事な刻を知らせるのが、うちの鐘なんだ」
「ふうん。……じゃあ父さんはどうやってその刻が分かるの?」
「自分で学んだんだよ。刻の測り方というのはな、誰かが教えてくれたからといってすぐ身につくものではないのだからね。まあ、最初は死んだ爺さんの測り方を真似していたものだが、やがて父さんなりのやり方を見つけたんだ」

 夕刻。鐘を鳴らし終えたロザクはヨーランを連れて鐘の家から出て丘地へと向かった。刻について教えるためだ。
 空は紺色。すでに太陽は西の山の向こうへと姿を消し、東の空の高みには煌々と白い輝きを放つイゼルナーヴが姿を見せていた。
 ――丘の向こうには、決して行ってはならない――
 厳格な掟が、代々伝わっている。ロザクたちは掟を守り、丘の中腹まで登った。ここからは村が一望できる。景色から色が失われていくこの夕暮れ時であっても、鐘の家の白い壁はぼうっと光って見える。
 やがて陽が落ち、空一面に星々が瞬くようになった。
「刻の測り方を教えよう、ヨーラン」ロザクは語りはじめた。「人々はな、朝早く――太陽が出てくるときから、今――日の入りまでの時間を一日の半分と考えてるんだよ。そしてその時間をきれいに八つに分ける(十六刻でまる一日だな)。その一つが“一刻”となる。でも季節が変わると太陽の動きも変わってくる。太陽が昇っている時間が長くなったり短くなったりする。人々の生活も季節によって変わっていく。だから父さんたち守人は、季節にあわせて刻の長さを変えなきゃならん。これが一番難しいところだよ」
「でも父さんはそれを毎日やっているんでしょう? すごいや!」
 ヨーランは父を見上げてにっこりと笑った。純粋な笑みの中には父に対する憧れがあった。
 月が姿を現した。

 * * *

 十年の歳月が流れた。この穏やかな村は、まるで時が止まったかのように以前となにも変わらないように見える。だがロザクの家庭は変わってしまった。
 ロザクは朝の鐘を鳴らし、鐘楼の塔の階段を下りて家へとつながる扉を開けた。息子の出迎えはない。そう、いつものように。ロザクはほうっとため息をつくと、朝げの支度をしている妻に声をかけた。
 もう半年ほど前になるだろうか。ヨーランは家を出て行った。幼い頃のヨーランは平和な村を愛し、また父親の仕事についても誇りを持っていた。だが時が経ち、ものを思う年頃となった彼は次第に反抗的な態度をあらわにするようになった。父の仕事ぶりを冴えないものと感じるようになり、さらには閉鎖的な村のあり方にも反発して、ついに堪りかねて家出してしまったのだ。
 もっともロザクにとっては、ヨーランの考えが理解できないでもなかった。守人としてこの地に拘束されるより外の世界と関わりたい。彼も若い時分には強く願っていたからだ。だが結局ロザクは冒険よりも、約束された平安を選んだ。
作品名:守人たちの村 作家名:大気杜弥