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哀しみの尾ひれ


 ――――――どうして、私の好きな人は居なくなっちゃうんだろう。



 すぐに杏里に追いつくだろうと楽観していたセルティだったが、予想外に杏里は見つからなかった。時間が経つにつれ不安が募り、メールを送ってみたものの、返信は無い。杏里のアパートまで足を伸ばしてみたが、部屋の明かりは消えたままだった。セルティはきょろきょろと辺りを見回しながら、杏里のアパートの傍を彷徨う。
 結局、近くの駅や繁華街まで探し回った挙句、セルティは諦めて引き返した。杏里は罪歌を有しているので、些細なトラブルなら対処できる。後日改めて話してみようと思いつつも、セルティは落ち込んだ気分になるのを避けられなかった。
 セルティはまだ、杏里が臨也の名前に反応したことには気付いていなかった。

 慣れた道を辿って帰る途中、気付くとセルティは、昼間も通った公園の傍に来た。ふと思いついて、セルティは公園の中を見回す。
 人気の無い公園の中に、杏里はいた。昼間と同様に、ぽつんとブランコに腰掛けている。膝の上には飲みかけのペットボトル。セルティはすぐにバイクを停めて、杏里の傍に駆け寄った。今度は、杏里もすぐにセルティに気付いた。顔を上げた杏里の前で、セルティは立ち止まった。しばらく無言で向かい合う。セルティは、何を言っていいのか分からず、何も入力されていないPDAを握り締めた。
「……あの、ごめんなさい」
 そんなセルティに助け舟を出すように、杏里が口を開いた。
「急に出て行ったりしたから、驚かせちゃいましたよね。せっかく誘って貰ったのに、ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」
 杏里が頭を下げる動作に伴って、肩口で切りそろえられた髪が表情を隠す。セルティは、慌ててPDAに文字を入力した。薄暗い公園の中で、PDAの画面が明るく光った。
『迷惑なんかじゃないよ。とっても心配した。何か気に障ることがあったなら教えて』
 その文面を見て、杏里は首を左右に振った。
「あの、そんなことはないです。何でも無いんです」
『嘘。何でも無かったら、急に出て行ったりしない』
 セルティが強い語調で示すと、杏里は再び俯いた。
「本当に何でも無いんです。……私が悪いんです」
 セルティは意味が分からず、静かに杏里を見つめた。何か言葉を伝えたくとも、杏里が顔を上げなければ何も出来ない。
「あの、」
 不意に、杏里が搾り出すように口を開いた。
「折原臨也さん……お友達なんですか?」
 セルティはことりとヘルメットを傾けた。しばらくその状態で静止したかと思うと、急にPDAに文章を打ち込み、勢い良く杏里の前に掲げた。
『あいつに何かされたのか!?』
 いつもより大きなフォントに気圧されるように、杏里がたじろぐ。
「いえ、あの、私は何も…………ただ、……紀田君が」
 言いよどむ杏里に、セルティは再びヘルメットを傾けた。
「あの後、紀田君、居なくなっちゃったんです。学校も辞めちゃって……携帯も繋がらなくて」
 セルティは杏里の言葉に困惑した。セルティはてっきり、杏里は友人達と和解したものだと思っていたからだ。
「どうしていいか分からなくて。私、何も気付かなくて、何も出来なくて……。一年も一緒にいたのに、紀田君のこと全然知らなくて」
 杏里が苦しげに吐き出す。珍しく饒舌な杏里の言葉を、セルティは無言で受け止めた。
「今日、とっても楽しかったのに、折原さんと仲が良いみたいだったので、なんだか急に怖くなって。お二人のこと全然知らないんだなって思って、居ても立ってもいられなくなって……本当にごめんなさい」
 セルティは、一連の事件の裏に臨也がいたことは知らなかったが、杏里の断片的な言葉から推測した。次に会ったら問い詰めてやろうと、内心闘志を燃やす。一方、杏里の謝罪の意味を理解して、いくらか緊張を解いた。
『気にしなくていいよ。実際、私も新羅も真っ当とは言い難いし』
 セルティの自虐的な言葉を、杏里が慌てて否定する。
「あ、そうじゃないんです。そうじゃなくて」
『不安になっちゃったんだろ? 分かるよ』
 杏里の言葉の先を、セルティが奪った。
『やっと元気が無い理由が分かった。臨也は一応新羅の友達だけど、私はあんまり好きじゃないな。どうして知ってるのか知らないけど、悪い奴だから関わらない方がいい』
 臨也の名前を見て、杏里は視線を逸らした。
「……本当は、分かってるんです。もし、あの人が何もしなくたって、ずっとあのままで居られたわけ無いのに……」
 セルティは杏里の眼前に手を掲げ、言葉を遮った。
『あいつは、そうやって人がぐるぐる悩んでいるのを面白がるんだよ。あいつの手の平で躍らされることはない』
「でも……」
『紀田君のこと、私は良く知らないけど、黄巾賊に戻ったのは杏里ちゃんのためだったろう? 嫌いで居なくなったわけじゃない』
 セルティの言葉は、所詮ただの憶測だったが、杏里は微かに頷いた。
『また会えるよ。お互いに好きなんだから。それとも、今から私に襲われてみる? 首無しライダーに襲われたって聞いたら、驚いて帰ってくるかもしれないよ』
 セルティが冗談めかして告げると、杏里はきょとんと目を丸くした。
『笑ってくれないと恥ずかしいよ』
 杏里は文面を見ながらぱちぱちと瞬きし、ようやく冗談だと理解した。
「あ、すみません」
『謝られると尚更恥ずかしい……』
「ご、ごめんなさい」
 眉を下げて焦る杏里を前に、セルティが肩を揺らして笑った。今度は杏里も、セルティが笑っていることが分かった。
『さ、帰ろう? もちろん嫌なら家まで送るけど、新羅が二人前の出前に困っている頃だ』
 セルティの言葉で、ようやく杏里は出前のことを思い出した。
 セルティはじっと待っている。杏里は、ゆっくりとブランコから立ち上がった。
『それ、ずっと持ってるね。好きなの?』
 セルティが、杏里が握り締めているペットボトルを指し示した。昼間コンビニで購入したらしいそれは、まだ三分の一ほど残っている。
「あの、これ、……前に紀田君が美味しいって言ってたので、買ってみたんです」
『そっか』
「はい」
 二人は、バイクに向かって歩き出した。鮮やかな色の清涼飲料水が、ペットボトルの中でちゃぷんと揺れた。



作品名:ホーム スイート ホーム 作家名:窓子