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彗クロ 1

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コンタミネーション





 森の長老から言い渡された数多の戒律のうち、こと、決して犯さざるべき禁忌として約束させられた条項は、突き詰めるに、そのほとんどがオリジナルとの接触を制限するものだった。曰く、大きな町には極力近づくな、軍の気配あらば一目散にその場を離れよ、権力者とは関わり合いになるなかれ、等々。
 そしてもっとも重要な禁戒として、「頭髪を人目に晒すな」。
 ……有無を言わせず課せられたあらゆる戒めが、何を隠そう己の身を守るためのものであったのだと、託された心遣いのことごとくをふいにした今になってようやく、レグルは痛感していた。
(冗談じゃない)
 忌わしいほどの深紅、だった。
 傷口から染み出す酸化した血液のような、ほの暗い光沢を帯びていた。赤毛とは名ばかりのレグルのそれとはまるで違う――不明瞭で不安定なレプリカとは決定的に違う、それはおそらくオリジナルにのみ許された色彩だった。
 胸郭中央の塊が、大きく伸縮する。
(だめだルーク)
 一気に決壊し渦巻いた大津波は、レグルの知らない感情群だった。かつてない膨大な量と激しい揺さぶり。混ざり合い、ぶつかり合い、行き場がない。思考が持っていかれる。全身が芯から震えだす。めまいがし、息が苦しかった。
 暗く狭まる視界に佇む一人の男は、長く伸ばした赤毛に、鏡の内側の面影を色濃く宿している。
(ルーク、おれはここにいる。だから)
(おれを消さないで。ルーク)

***

 そのちっぽけなレプリカを認識するや否やルーク・フォン・ファブレの口からまろび出た第一声は、およそ実母や婚約者の耳には入れられない最低の呟きであった。
「……屑が」
 小さな肩が打たれたように跳ねる。まっすぐにルークを見返す碧の双眸に宿るのは、つよい猜疑と――恐怖だ。
 ルークは、苛立つ。
(だがこれが俺だ)
(そしておまえは、こんな俺をも赦すのだろう?)
「越権が過ぎますね、ファブレ子爵閣下」
 横合いより寄越される直截な皮肉がうっとうしく、ばかばかしい。子供との距離はざっと十歩。たかがこれだけの隙間に立ちはだかるのが、縦の丈ばかり立派な優男の弄する正論という名の詭弁なのだ。
 ルークは死霊使いをはすかいに睨み返す。なんだか視界が濁っていた。眼鏡の奥にあるはずの忌々しい赤が、ひどく見えづらい。
「政治をやりにきたつもりはない。真実を確かめにきただけだ」
「傲慢です」
 返答は皮肉も嫌味もないただ一言、断罪にも等しい物言いだった。
 こんな言い方をする男だったか? しかし改めて記憶をまさぐる余裕はなかった。歴戦に鍛えた殺気で邪魔者たちをその場に釘付けにし、しかと子供へと向き直る。
「お前たちの検査とやらを信用しないわけじゃねぇ。だが俺は、俺自身のこの目ですべてを見届け、父上と母上に報告する義務がある」
 言う間に身体は動いていた。制止を訴える男たちの声はもはや罵声にも等しかったが、ルークはすべて無視した。ほんのわずかな溝でしかない十歩はやすやすと埋められつつあった。頭髪を頑なに覆い隠す白い帽子が癇に障り、本能的に手が突き出る。鮮やかすぎる碧玉のふたつぶが、くっきりと絶望の色を浮かび上がらせるのがわかった。
 間近にして知る。レプリカの小さな身体は、瘧に罹ったかのように震えていた。
 ――何を今更。
 口内に叩きつけた呟きを聞き分けた者はいないだろう。
 子供の小さな頭頂部を乱暴に鷲掴みにした手が、流れるままにニット帽の下の真実を暴き出そうとした――その瞬間。

 光が駆けた。

(第七音素!?)
 全身を駆け上がった輝きを、ルークは知っていた。遥か三年前に失われた、音と記憶と癒しの波長――
「コンタミネーション……!」
 背後から上がった驚愕は直接脳髄に叩きつけられた。聞き知った単語がもたらす言いようのない悪寒に衝き動かされ、ルークは少年の頭部を抑え込んでいた右手をとっさに横に逃がした。ふわりと浮きあがったあとに軽く虚脱する独特な感覚は消え、輝きは死んだ。――違う。少年に感染(うつ)された。
「――あっ?」
 いっそ無垢なほどに、間の抜けた感嘆符。
 幼いレプリカの表情が劇的に変じていく様を、ルークは呆然と見届けた。
「アア……あああああぁぁ……っ」

***

 ルーク・フォン・ファブレは不遇だった。
 彼は、死ぬために生まれたのだ。

***

 天地の感覚が消え失せたのを、レグルは感じた。
(なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ……!)
 大挙して雪崩れ込んだ許容を遥かに超える情報量に、レグルの脳は悲鳴を上げた。記憶回路の隅々を蹂躙して暴れまわる姿なき激流。脳髄を捩じ上げられ、頭蓋を真っ二つにかち割られるようだった。
 強要される情報の奔流を、レグルは理解できない。ただそれがもたらすだろう危機を本能的に悟った。ひとたびこの波に足をすくわれたなら、たったの三年のうちにようようそれらしく形を成したレグル・フレッツェンなどというちっぽけな自我は、あっという間に濁流に呑まれ潰されてしまうだろう。
 まして、そのちっぽけな自我の片隅にひっそりと身を寄せる、淡くか細い意識体など――
(逃げて逃げて逃げて逃げて逃げてルーク――……!!)
「その子供から離れなさい、――ルーク・フォン・ファブレ!!」
 レグルは叩きつけられたように顔を上げた。白い闇にくらみかけた視界が、わずかに彩度を取り戻す。
 ――いま、なんと言った?
 誰が、誰の名を呼んだのだ!?
「――テ、メェ、が……ッ!」
 ふつふつと湧き上がる怒りに、目が燃えるようだった。
 レグルは無理矢理立たせた片膝で力いっぱい石の床を踏みつけた。踏み抜けるだけの脚力があれば踏み抜いていた。いつの間にかその場に膝を屈していた、その事実がいっそう怒りを煽った。傍らからすがるように絡みつく腕も振り払った。一人で立たなければ意味がなかった。
 がくがくと痙攣する膝を根性で立てる。感覚も曖昧な両足裏で地面の感触を必死に掴まえる。重力に招かれてしようのない重い頭を、持ち上げる。
 まっすぐに、見据える。紅い髪のオリジナルを。
 ニット帽で押さえつけた出来損ないの朱髪が、静かに逆立つように感じた。
 存在を呑まれる恐怖は、もう感じなかった。完全に怒りが勝っていた。そうして開き直ってしまうと、意味をなさなかった情報の連なりが、するりと意識に沁み込んだ。

 思い出した。あの男。

「……てめえ、ルークの場所を奪(と)りやがったな……!」
 レグルのそれとは色味の異なる緑の双眸が、驚愕に振れた。
 焔より鈍く、鮮血より暗い深紅の男。眉間に刻み込んだしわの伸ばし方を忘れている男。振り上げた腕の下ろし方を知らずに、幼い命を死と絶望の淵に追い詰めた最低の人間。
 大罪人だ。
「……ルークを責めて、何もかもルークのせいにして、追い込んで追い込んで……自分はさっさと何もかも投げ出してあっさり死んじまいやがって、あげく、結果がこれかよっ……。なんでルークは死んだのに、テメェは生きてんだよ!?」
「――……」
作品名:彗クロ 1 作家名:朝脱走犯