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カイトとマスターの日常小話

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蒼いマニキュア






「…剥げてきちゃったな」

茶碗を洗い終えて、指先を見る。青く染められた爪の先、マニキュアが剥がれてぼろぼろになっている。
(…まあ、当然だよね)
歌うこと意外に自分に出来そうなことと言えば、掃除に洗濯、料理…。家事は嫌いじゃない。むしろ、好きなので、率先してやっている。
「どうした?」
じっと爪を見つめたまま微動しない僕に、茶碗を拭いていたマスターが怪訝そうに訊いてくる。
「あ、マニキュアが剥がれてきっちゃって、どうしようかと思って」
そう言うと、マスターは、
「マニキュア?…何だ、塗装で、もうそういう仕様なのかと思ってたぞ」
と、失礼なことを言った。
「塗装ってなんですか、僕はプラモでもフィギュアでもないですよ!」
「似たようなもんだろ」
「似てません!僕はボーカロイドです!!」
「はいはい。歌って踊れ…踊れないけど、家事は出来るボーカロイドだよねぇ」
「マスター!!」
マスターが踊れって言うんなら踊りますけどね。何か、ムカっときました。今の。
「…怒るなよ。お前が全部やってくれてんで、助かってるよ。ありがとな。…家事なんかしなくても、本当はいいはずなのにな」
よしよしと頭を撫でられて、僕の中に生まれた怒りはすぐに萎んでいく。下手に出られると弱い。
「…家事は好きでやってるから、いいんです。…でも、」
「でも?」
「片付ける端から散らかさないでください」
前から言いたかったことを言う。マスターはやれば出来るひとなのだが、面倒くさいことは後回しにしてしまう悪い癖がある。
「…それは、すまんかった」
悪いとは絶対に思ってない。マスターはへらりと笑った。
「…確か、妹が使ってた除光液がどっかあったはずだな。探してくるわ」
…探してくるって…また散らかるな…。はぁ、溜息が漏れた。





 マスターとソファーに腰掛け、向き合う。

「コットンとか使うといいらしいが、そんなもんないしな」
ティッシュに液を含ませる。その独特の匂いに顔を顰めつつ、マスターは僕の右手を取った。…何だか、擽ったい気持ちになる。
「マスター、自分でやりますよ」
「…ん、気にすんな。メンテもマスターの仕事だろ」
そう言われてしまえば、何も言えなくなる。僕は大人しくされるがままにマスターに右手を預ける。小指から始まって、薬指、中指、人差し指、親指をマスターは丁寧に拭っていく。
「…ちゃんと、ピンク色だな」
「当たり前ですよ。基本はひとと変わらない造りなんですから」
僕の体は人と基本は変わらない。指を切れば、赤い血が流れる。まぁ、それは血ではなくて、擬似体液だけれど。僕…ボーカロイドは人に出来るだけ近くひとに似せられて作られた。
「…だよな。…ちゃんと体温あるし…次、左な」
「はい。…シャットダウンしてるときは体温ないみたいですけどね」
「…へぇ…。やっぱ、動くためにはある程度の熱が必要なんだな」
「そうみたいです」
じっと自分の指先を拭うマスターの指先を見やる。添えられた手のひらは温かく、爪先を拭う指先は骨ばっていて長い。指の腹はパソコンを使う仕事の所為か、平べったく、たまに何かの設計図を書くことあるからか、中指にペン胼胝がある。その手は色んなものを生み出し、僕に安らぎを与えてくれる不思議な手だ。
「…終わったな。次は、足だな」
僕の足先を見やり、マスターが言う。流石に足のマニキュアを落としてもらうのはどうかと思う。ソファーから降りたマスターが僕の踝を掴む。
「…っ、マスター、後は自分でやりますから!」
「遠慮すんな」
「します!!」
「するなって言ってるんだから、大人しくしてろ。タダで奉仕されるのが苦なら、奉仕の代価に何か歌え」
「…っ、」
奉仕の代価って何ですか!!何か、いやらしいですよ、それって。…っ、もう。歌えって言うなら歌いますよ。歌えばいいんでしょ。…半ば、ヤケな気持ちで僕は喉を開く。

「…世界中でただ一人 あなたの為にだけ この唇は開かれる だからその手を止めないで マイマスター…」

伴奏なしに歌わされるのは慣れてる。マスター曰く、僕の歌う歌は作業用BGMらしい。最初はそれにムカついたけれど、作業中でもマスターはちゃんと歌を聴いてることが解った。一度、半音わざと外して歌ったらそれにちゃんとマスターは気付いて、
「今、お前、わざと外しただろ」
と、意地悪な顔で僕に言ったのだ。
「…だって、ちゃんと聴いてくれてないじゃないですか」
むっとして僕が言うと、マスターは困った顔をした。
「そんなことはない。ちゃんと聴いてる。…お前の声、好きなんだよ。…それにどうしてか、お前の声聴きながらだと、仕事が捗るんだよな」
そう言われて…だから、僕を買ったのだと言われてしまえば言葉も返せなかった。僕が来る前、マスターの部屋には僕が(厳密に言えば別の僕が)歌ったものを編集したCDが何枚もあったから。今、そのCDをマスターは僕がいるから必要ないなと片付けてしまったけれど。

「…何故、今、その歌を歌う…」

マスターが呟くのが聞こえたが僕は気にしない。

歌えと言ったのは、あなたですよ。マイマスター?




「…ついでに爪も切ってやるよ」
マスターはマニキュアを落とした指先を見やり、そう言った。
「…もう、好きにしてください」
嫌だと言ってもどうせ聞かないのだ。なら、抵抗するだけ無駄だ。
「聞き分けがよくて、結構」
マスターはそう言って、爪きりを持って来ると僕の足の爪を切り始めた。
「…上手…ですね…」
「…まぁな。…昔、妹の爪、よく切ってやってたしな」
ぱちんぱちんと爪を切る音だけが響く。そして、丁寧に鑢でギザギザになった切り口を滑らかにしていく。
「そうなんですか。僕にも妹がいるんですよ」
僕には、MEIKOと言う姉とミク、リンの妹二人に、レンと言う弟がいる。
「知ってるよ。可愛い妹で羨ましいぜ」
「…可愛いんですけど、二人ともちょっとお転婆で」
「ウチの妹もだよ。…あれで嫁にいけるのかと心配したんだけどなぁ」
マスターは溜息を吐いた。
「世話、焼いてやったヤツがいなくなるのって寂しいもんだよな」
「…そうですね」
可愛がってていた妹、弟、男前な姉が順番にそれぞれのマスターの元へと行ってしまい、ひとり取り残された僕はとても寂しかったのを覚えてる。…僕は寂しがりやなのだ。…だから、マスターのところへ来ることが出来て良かったと思う。マスターがいるから、寂しくない。
「…ま、今はお前がいるから寂しくないけどな」
僕と同じ事をマスターも思っていたのだと思うと嬉しい。
「…はい。終わり」
指の爪まで終わって。きれいに整えられた爪先を見やる。
「マスター」
「ん?」
爪切りを引き出しにしまったマスターが僕を見やる。
「ありがとうございます」

「どういたしまして」

マスターが笑った。







オワリ